2010年3月2日火曜日

マンドリン・オーケストラの歴史!

先日の練習終了後にもお話したが、
マンドリン・オーケストラの歴史について調べてみた。
同志社100周年と併せて見てみると
深い歴史であることがわかった。

日本にマンドリンが伝えられたのは、1894年四竈訥治が
イギリス人にマンドリンを贈られ演奏したのが最初といわれている。
1901年には比留間賢八が留学先のイタリアからマンドリンを
持って帰国し普及に尽力した。詩人萩原朔太郎が比留間に
師事しマンドリンを演奏していたのは有名。

1915年に武井守成がシンフォニア・マンドリーニ・オルケストラ
(後のオルケストラ・シンフォニカ・タケヰ)を設立し、
指揮者に瀬戸口藤吉や大沼哲や菅原明朗を招いている
(菅原は1930年代以降マンドリン界から一時離れるが、
1960年代より復帰し関西マンドリン合奏団に多くの曲を提供する)。
オルケストラ・シンフォニカ・タケヰは演奏のみならず
研究誌の発刊やコンクール開催などを行い、
マンドリン音楽の発展に尽力した。
音楽教育者齋藤秀雄のキャリアは、
オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ主催の合奏コンクールで、
オルケストル・エトワールを指揮して入賞したことから始まっている。

また大学でもマンドリンクラブが相次いで設立されるようになり、
1910年には慶應義塾大学・同志社大学で、1913年には早稲田大学で、
1917年には関西学院大学で、1920年には九州帝国大学(現在の九州大学)で、
1921年には北海道帝国大学(現在の北海道大学)で、
1923年には明治大学でマンドリンクラブが設立されている。

後年のマンドリン音楽の発展には社会人の団体だけではなく、
学生団体も大きな役割を果たすことになる。
戦時中は各団体とも活動が停滞するが、
戦後の復興とともに再びマンドリン音楽も盛んとなる。

以上の各団体はいずれもイタリア式のマンドリンオーケストラを
範とした編成や選曲を志向しており、戦前はイタリアが同盟国であったこと、
戦後もイタリアのようにプロパガンダに利用されなかったことが幸いして
温存され、現在に至っている。

0 件のコメント: