2011年3月31日木曜日

パンフレットとちらしの校正!

今年もパンフレットとちらしの校正に尽力させて頂くことになる。
社内報のチェック等もやっているが、意外と校正すべきことは多い。
複数でチェックしないと、意外なミスを見落とすこともある。
気を引き締めて尽力したい。

2011年3月30日水曜日

木管賛助・十鳥(じゅうとり)博幸さん・・・

木管賛助・十鳥(じゅうとり)博幸さんについて、再掲。
高槻ゆかりの方のようでありがたい!

<バイオグラフィー>
12歳よりオーボエを始める。
2000年よりポップス・ジャズ・フュージョンのオーボエ演奏者として活動。
近年ではアカペラによるブラインドシネマコンサートや琴とのジョイント演奏。
日本の四季を独自の世界でアレンジ表現するなどアイデアに富んだ演奏で好評を得る。
また、自身のオリジナルCDをこれまで3枚発表するなど活動は多岐にわたる。
2006年高槻音楽コンクール奨励賞受賞


意外とお若い方であった。
しかし、オーボエは良い音が出ますね・・・
ガラシャの憂いと清らかさが良く表現できる楽器だなと感じる。

2011年3月29日火曜日

新マンガ日本史  細川ガラシャ!


今日、梅田の本屋によると、
たまたまこの雑誌が目に付いた。

「新マンガ日本史  細川ガラシャ」 
  朝日新聞出版社 2011年4月10日号 490円

私のために発刊して下さったのかと勘違いするほどの衝撃!
ありがとうございました。

マンガでわかりやすく解説してあると思います。
安いですし、本屋ですぐに見つかると思います。
ご参考まで。

下記に詳細あり。
 ↓
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B004QXV3BM/ref=s9_simh_gw_p14_d0_i1?pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_s=center-1&pf_rd_r=0TJY4JQ9J1RVRA1FCE9D&pf_rd_t=101&pf_rd_p=463376736&pf_rd_i=489986

2011年3月28日月曜日

慈善演奏会について・・・

27日の練習前に、今回の定演をチャリティ演奏会にするか
どうか話し合いが持たれた。
いろいろと意見は合ったが、何らかの形で貢献したいという
思いは共通して合ったことはありがたいと思える。
同日、幹部が集まって、部費から義捐金を送る方向で
検討された旨聞いた。
今の日本の互助精神の強さを実感できた。
昔から、寄付やお布施行為は、意外と貧しい層からも
良くあったと聞く。
人に対する優しさと助け合いの精神は、
いつまでも持ち続けたいと思う。

練習が終わって最寄り駅で降りると、
駅のロータリーの中央公園でアマチュアの音楽団体が
数団体チャリティコンサートをしていた。
ものすごく上手いとはいえなかったが、
演奏者も聴き手も「大いに愉しんでいた」ように見えた。

我々の話し合いで、「我々はアマチュア団体だから・・・」
と少し卑下するかのような発言があったが、
そんな必要はないと思っている。

動機はどうであれ、何とかしたいという思いが大事であると
思えるからである。
何らかの形で、貢献させて頂くという「行動」こそが
大事なのだと思っている。

2011年3月27日日曜日

3月27日(日)練習!

3月27日(日)練習!

<場所>
今城塚公民館 大集会室
<メンバー>
1st:7、2nd:7、dola:7、 cello:2、 guitar:14、
bass:2、指揮者:1 計40名。

<連絡事項> 
・休憩時間に合宿費徴収。
・古切手収集。
・本日午後、1st・2nd合同パート練習。
・チャリティコンサートにするかどうかの検討。

<練習>
9:00-12:50

2部:ビギン・ザ・ビギン、知りたくないの、Kaw Liga、
   星に願いを、峠の我が家、オー・スザンナ、マイ・ウェイ、
   ユー・アー・マイ・サンシャイン

3部:アンコール候補曲:また君に恋してる
   アラビアの隊商
   セビリアの理髪師

茶話会:1st担当

1部:柳川抄    
   細川ガラシャ
   日本の幻想

<所感>
今日はナレーターのMさんからの要望で、前回と連続
朗読と合わせる。今日はマイクの調子も良く、
一部の朗読以外はまずまず。
その一部も、Nさんの工夫によるものなので、
逆にありがたいと思っている。

これで3回合わせた。
1回目は、ビギナーズ・ラックもあったのだろうが、問題なく済む。
しかし、2回目以降、Nさん自身、音楽と合わせようと工夫してこられた
ので、音楽とのズレが出始める。
しかし、次回以降は良くなるだろう。
時を打つ「ボーン」という朗読とギターの音のタイミングを
できるかぎり近づけようと試行錯誤中であるが、
大分見えてきたように思える。

1部については、1stの高音がもっと出れば、なお良くなると思っている。
全体的には音が良く出ているので、後は細かいところを詰めたい。
特にうたうところをじっくりうたえるように工夫していきたい。

アンコール候補曲「また君に恋してる」を初練習。
いいちこの宣伝効果、昔にビリー・バンバンが歌った曲を
坂本冬実が歌っていることもあり、静かに人気のある曲であると
思う。

今日も、セヴィリアを後ろで聴いて気づいたが、
ラストの速弾きには皆さん苦心しておられたように思う。
特にフレットの間隔が大きいチェロは大変だったように思える。

次回、4月10日は、第二回目の木管との音合わせ予定。

2011年3月26日土曜日

前回の練習の反省を活かす!

前回の練習を録音しておいた。
ギタートップの前にICレコーダーを置いていたが、
意外と木管の音が大きい。
もっと小さかったように思っていたが。

また、Allegroが意外と遅い。
もう少し上げても良いかと思う。

さらに分析して、次回の練習に活かしたい。

2011年3月25日金曜日

今後の追い込みについて!

今後の追い込み方について、考えてみた。
2月18日(金)のブログに書いたことと、
ほぼ同じである。
要は、各パートで、上記事項をじっくり
仕上げていけば良いと思っている。

2011年3月24日木曜日

追い込み!

3月下旬に入り、そろそろ追い込みをかけていきたいと考えている。
音は良く鳴り出してきたので、懸案部分を徹底して練習していきたい。

2011年3月23日水曜日

27日の練習計画!

27日の練習計画!

今回の練習もナレーターの方と合わせる。

1.柳川抄 
2.日本の幻想「会津磐梯山と八木節」   
3.細川ガラシャ

特にポイントと考えているところを
重点的に練習しておきたい。

2011年3月22日火曜日

震災復興チャリティコンサート!

Kさんが、掲示板に
「今度の定期演奏会を震災復興チャリティコンサートに
したらどうかと思いますが皆さんいかがですか?」と提案されていた。
もちろん、大賛成である。
皆さんといろいろと具体的に決めていきたい。

2011年3月21日月曜日

和太鼓とオーケストラ!




土曜日に和太鼓とオーケストラの共演を聴いた。
最後列で聴いたが、和太鼓の迫力が十分に伝わった。

「情熱」という言葉がぴったりである。
何事も情熱を持って取り組むことの大切さを痛感した。

2011年3月20日日曜日

演奏会の台本!

演奏会の台本を作成してみた。
ステージマネジャーのSさんにも見てもらうことにした。


第一部は、日本(にっぽん)を表現した曲目を集めてみました。

1.日本民謡「日本の幻想 ~会津磐梯山と八木節~」 
   編曲 高野吉司

日本の代表的な民謡、会津磐梯山と八木節をアレンジした曲です。
ギターの太鼓奏法にもご注目下さい。


2.音楽詩「柳川抄」   
   ~北原白秋の生い立ちの記による~ 
    作曲 鈴木静一

柳川抄は、北原白秋の故郷(ふるさと) 福岡県柳川について表した
「我が生いたちの記」という詩の朗読を音楽として組み入れたものです。

晩秋の柳川の寂しさと深い詩情に溢れる川の流れに、
街、子供たち、祭など故郷に対する懐しさを表現しています。

1楽章 流れ、2楽章 おそれ、3楽章 水落ち です。

朗読は、村橋加恵子さんです。


3.劇楽「細川ガラシャ」 鈴木 静一 作曲

この曲は、明智光秀の三女「玉」として生まれた、
麗しきキリシタン「細川ガラシャ」の生涯を描いた曲です。

ガラシャは、父光秀の信長への謀反により、謀反人の娘として
苦悩の人生を送りました。
最後は秀吉亡き後の豊臣方の策謀に抗して、
自らの決意で侍臣の刃先を胸もとに受けて
炎の中に身を投じ、熊本城主細川家を永続させることになりました。

「ガラシャ」とは「神の恵み」という意味で、
波乱多き自らをなぐさめるためにキリスト教に入教したと言われています。

2011年3月19日土曜日

賛助の再練習!

いろいろとご心配頂いているようだが、
ナレーションは次回、木管は4月10日に
再度練習に参加して頂くことにしています。

良い演奏にしたいですからね。

2011年3月18日金曜日

木管の課題!

先日、木管と合わせたが、4月10日に再度練習したいと思っている。
課題として、
< 、> をさらに明確にする。
フルートのブレスの位置が、もう少し改善できればと思う。
・・・息つぎがしんどい曲なのかもしれないが。
もっとうたって頂ければ、さらに良くなると思っている。

2011年3月17日木曜日

IPADはやはり便利だ!

先日北口先生のコンサート会場の席で、
ガラシャのギターソロについて、
IPADで、Nさんとスコアを見ながら
打ち合わせをした。
やはり、IPADは便利である。

アプリとして、メトロノーム、チューナー、
有名な曲のピアノ譜、タイマー、ICレコーダー等が
入っているので、便利である。

IPAD2が出るそうだが、
そう大きな違いはないので、当面今ので問題無い。

これにスマートフォンが加わったので、
余計にIT生活が進化したことになる?????

IPADにはFLASH PLAYERなるものがないので、
見られない画像があって不便だったが、
スマートフォンはそういうこともない。
携帯よりも軽いタッチで動くので、少し戸惑いがある・・・

2011年3月16日水曜日

柳川抄と細川ガラシャの解説!



先日の練習で、柳川抄と細川ガラシャの解説を
お配りした。上記ご参考まで。
先日ご欠席の方には、次回お配りします。
また、上記画像をクリックすれば、大きく表示されます。
今一度曲のイメージをつかんで頂くために、
掲示します。

これを基にステージ台本も作れる。

皆さんでイメージを共有し、
良い音楽を創り上げていきたい。

2011年3月15日火曜日

うまくいかせるための工夫!




先日の喫茶店で改めて気づいたことがある。
美味しいお茶を入れるために、カップを温めて
おられるのである。
成功するためには、いろいろと工夫する・・・
そんな大事なことに改めて気づかされた。。。

2011年3月14日月曜日

茨木六弦堂!






昨日、練習終了後、茨木で食事+お茶し、
茨木六弦堂というギターのお店をうかがった。
ギターのHさんのご紹介である。

お茶した喫茶店は、元指揮者のYMさんがお習字を教えて
おられる所の近所である。
YMさんも教えられる前に立ち寄られるとか。
クラシックなお店で、クラシックの曲をかけておられるとか。

販売されているギターには、私のギターを製作された
寝屋川の庄司さんのものもあった。

茨木という町に、こんなお洒落なお店があったのかと、
新たな発見ができた。
茨木童子は、うちの近所から歩いて茨木童子になったというし・・・
古風な町並みの中にある落ち着いた隠れた名店が
いくつかある・・・

練習の帰りに、こういう喫茶店でくつろげるのは
ありがたい・・・

http://www.rokugendo.com/

2011年3月13日日曜日

3月13日(日)練習!

3月13日(日)練習!

<場所>
今城塚公民館 大集会室
<メンバー>
1st:9、2nd:6、dola:7、 cello:3、 guitar:9、
bass:2、指揮者:1 計37名。

<連絡事項> 
・今日の1部の練習ではナレーター・村橋さん、および
 木管賛助2名参加。
・2ndUさん退部。残念である。。。

<練習>
9:00-13:00

3部:? ・・・賛助の方へのお茶を買いに行ったため、不明。
   セビリアの理髪師

1部:細川ガラシャ
   柳川抄・・・3・2・1楽章の順で。    
  
2部:ビギン・ザ・ビギン、知りたくないの、Kaw Liga、
   マイウェイ・・・
    ・・・賛助との打ち合わせに気を取られ、こちらも不明。

<所感>
マイクの調子が良くなく、柳川抄のナレーションは
ほぼ地声でお願いする。
私がテストした時は、うまくいったのだが。

前回うまくいったので、お互いに思い込みがあったか。
次回は、キュー出し等明確に事前のすり合わせを行いたい。

フルート、オーボエはまずまず。
普段は440で合わせておられるとのことで、
少しピッチが低かったか。
フルートがもう少し大きくても良いと思っている。
次回、4月に合わせたいと思っている。
フルートの方は女子大生さんとか。

セヴィリアを後ろで聴いて気づいたが、
全体的にパートの前の方々が走り、
後ろの方々が遅い感じである。

課題も明確になってきた。
詰めを行っていこう!

2011年3月12日土曜日

13日の練習計画!

13日の練習計画!

13日はナレーターの方がまた来られる。
また、木管のフルートとオーボエの方も
来られる。
柳川抄・細川ガラシャを中心に練習する。
今のところ、四方さんの次に練習する予定。
マイクを使って朗読して頂くことになっている。
マイクの準備を念入りに行わないと。

1.細川ガラシャ
2.柳川抄
   3・2・1楽章の順、
   つまり、フルートが入る3楽章を先にする。

2011年3月11日金曜日

1部の正式曲目名!

管理人さんに、掲示板で1部の正式曲名を
問われたので下記回答した。


日本民謡「日本の幻想 ~会津磐梯山と八木節~」 編曲 高野吉司

音楽詩「柳川抄」   
 ~北原白秋の生い立ちの記による~ 作曲 鈴木静一

劇楽「細川ガラシャ」 鈴木 静一 作曲


日本を表す特徴的な曲を並べられたと思う。
そんな曲を演奏させて頂けるのは、光栄である。


今日はめまいがしたのかと一人で思っていたが、
大きな地震であった。。。。。

2011年3月10日木曜日

木管との共演!

木管との練習の件、ご都合により、急遽、
次回13日(日)になりそうです。
今から楽しみです!
フルートとオーボエ、どちらも曲の基幹をなすだけに
奏者も大変だが、うまくいけばおいしい結果になりそう!

2011年3月9日水曜日

柳川抄の解説!

柳川抄の解説も入れるなら、下記のようになるかな。


音楽詩「柳川抄」 <解説と朗読>  
 ~北原白秋の生い立ちの記による~ 作曲 鈴木静一

<<解説>>
大正から昭和にかけて活躍した北原白秋の詩は、
思春から青春に移ろうとする頃の私を異常に刺激し、
音楽と詩の両道の選択に迷わされた想い出がある。

1968年、九州大学マンドリンクラブに招かれ福岡を訪れた際、
白秋の故郷 柳川に遊び、今日もなお、白秋の頃の面影を残す晩秋の柳川の寂しさと
深い詩情に溢れる流れに、街に、また子供たちに言いしれぬ懐しさを抱き、
この曲を書き上げたのである。
さらに白秋の「我が生いたちの記」による
詩の朗読を音楽の一部として組み入れたものである。
「昭和46年(1971年)6月30日発行 GMO機関紙「フレット」第14巻・第2号より」


<<朗読>>
「我が生い立ちの記」 
  “古い時代の白壁が今も懐かしい影をうつす”


【1楽章】流れ

私の郷里、柳川は水郷である。
自然の風物はいかにも南国的であるが、柳川を貫通する数知れぬ
掘割のにおいには、日に日にすたれゆく古い時代の白壁が、今も
なお懐かしい影をうつす。

わが町に来る旅人は、その周囲の平野に、遠く近くろう銀の光を
放つ多くの川を見るであろう。
歩むにつれ、その水面(みなも)に菱(ひし)の葉、蓮(はちす)、真菰(まこも)、河骨(こうほね)、
さまざまの浮藻(うきも)の強烈な更紗(さらさ)もようを見いだすであろう。

水は清らかに流れて、すたれ果てたノスカイ屋(遊女屋)の厨(くりや)
の下を流れ、洗濯女の晒布(さらし)にそそぎ、水門にせわれて
は黒いダリアの花に嘆き、酒造る水となり、
そして夜は観音講の堤燈の灯(あかり)をちらつ
かせながら、海近き沖の端(はた)の塩川におちてゆく。

水郷、柳川はささながら水に浮いた“灰色の柩(ひつぎ)”である。


【2楽章】おそれ

 “あの眼の光るは、星か蛍か鵜(う)の鳥か
  蛍ならば お手にとろ 
  お星さまなら拝みましょ…”

幼い時、私はよくこういう子守歌をきかされた。
そして、恐ろしい夜におびえながら、乳母の背から、
首の赤い蛍を掴んだ時、どんなに好奇の心におびえたであろう。

少年になっても私は夜が怖かった。
何故にこんな明るい昼のあとから“夜”といういやな恐ろしいもの
が来るのか? 私は乳母の背に抱きついてふるえたものだ。
真夜中の時計の音は、また妄想に痺れた。
トンカ・ジョーン(男の子)の小さな頭脳に生臟(いきぎも)とりの血のつ
いた足音を刻みつけながら、時々深い奈落に引き込むようにボーンと時をうつ…
 

 “あの眼の光るは、星か蛍か鵜の鳥か
  蛍ならば お手にとろ 
  お星さまなら拝みましょ…”


【3楽章】水落ち

九月十日、祇園会(ぎおんえ)が終わり秋もふけて、線香を乾かす家、からし油
をしぼる店、ローソクを造る娘、提燈の絵をかく義太夫の師匠---
すべてがしんみりとした物の哀れを知る十月の末には、まず秋祭
の準備として柳川の掘割は、水を干され、魚は掬(すく)われ、なまぐさい
水草もどぶ泥もきれいにさらい尽くされる。

この“水落ち”の楽しさは町の子供の何にも代え難い季節の華
である。そうしてこのひと騒ぎのあとから、また久しぶりに奇麗
な水は廃れ(すたれ)ゆく町に注ぎ入り、楽しい祭の前ぶれが奇妙な道化師の姿で
笛をならし、拍子木を打ち、町から町へとめぐり歩く。

祭のあとの寂しさは、また格別である。
野は火のような櫨(はぜ)の紅葉に百舌がただ鳴きしきるばかり、何処か
らとなく漂流うて来た傀儡師(くぐつまわし:人形師)の背で生白い人形の首が、眉を振る
物凄さもいつか人々からかき消えて“灰色の柩”
柳川に寂しい、寂しい冬が来る。

2011年3月8日火曜日

「細川ガラシャ」 の解説書!

細川ガラシャを演奏するが、ガラシャ自体、
物凄くメジャーな方ではないので、定演のパンフレットに
簡単な解説書が要るのかもしれない。
少し検討するが、載せるならどうするか?
考えてみた・・・・


劇楽「細川ガラシャ」 鈴木 静一 作曲

本曲は、明智光秀の三女「玉」として生まれた、
麗しきキリシタン「細川ガラシャ」の生涯を描いた譚詩曲である。

ガラシャは、織田信長の媒酌で12歳で細川忠輿に嫁いだ。
しかし、父光秀の信長への謀反に端を発し、謀反人の娘として
波乱多き37年の生涯を送った。
最後は秀吉亡き後の豊臣方の策謀に抗して、
自らの決意で侍臣の刃先を胸もとに受けて
炎の中に身を投じ、熊本城主細川家を永続させる礎となった。

今でも屋敷跡の井戸は、大阪の玉造に残っている。
(森の宮と谷町4丁目の間位、大坂城の真南。
 昔の大阪府立青少年会館の真南)

「ガラシャ」とは「神の恵み」という意味で、
波乱多き自らをなぐさめるためにキリシタンに入教したと言われる。

本曲の構成は、次のように解釈される。

序奏部:Adagio・・・・・冒頭の短い悲痛な楽句の強奏は
ガラシャの悲運を暗示する。
Allegro・・・・・戦乱の動乱相継ぐ当時の不安な世代を表現する。
Andante・・・・・宗教的な曲調はその頃信長・秀吉等に容認された
キリシタンの伸展を語る。
本能寺の変:Allegro ma non troppo・・・・・ガラシャ苦悩の
発端となった父光秀の叛乱
Adagio Pesante・・・・・戦乱の悲哀
優美なガラシャ:Elegante・・・・・琴の音を偲ばせるギターのリズムに
フルートのソロによってガラシャのテーマが導かれる。
高度の教養と端麗な容姿のガラシャが描写されるが、
悲運の哀愁もただよう。
不安:Poco Piu Mosso e stretto・・・・・低音部の不安な動きが
世相の不安とガラシャの苦悩を描く。
聖歌:Adagio・・・・・心の不安をキリシタンへの信仰に求める。
しかしこの希望の光も石田三成等の圧迫の手におわれる。 
豊臣方の襲撃:Presto・・・・・人質として大坂城内への移動に応じない
ガラシャに討手の軍勢が向けられる。会津討伐の留守をあずかる
ガラシャは夫の命に従って、実名を死守する決意を定める。
ガラシャの死:Lento Espressiro・・・・・自殺厳禁のキリシタンの
掟(おきて)により、侍臣の刃先を受けて死す。

2011年3月7日月曜日

北口先生のコンサート!



<チラシをクリックすれば、画像が大きくなります。>

Hさんのギターの先生である北口先生のコンサートを、
Nさんと一緒に聴く。

北口先生の音楽は、いつも真摯である。
曲毎に解説があり、約2時間半あっと言う間に終わる。

アンコールは月光と禁じられた遊び。
今回は、アンコールも含め、
一般の方が聴きやすい曲が並んでいたように思う。

基礎をきちんと押さえること、
曲のイメージをきちんと伝えること・・・
等を再認識できた一日であった。

ちらしの先生のプロフィールに、
<北京にて京都マンドリンオーケストラとの協奏曲共演>とあるが、
私が先生の略歴に絡めているのは、うれしいことである・・・

北口先生は京大の工学部に入学されただけあり、
コンサートのチラシはmm単位で修正される。
今回のチラシも先生なりのこだわりがあったと思う。
ギターの絵の上にお名前を入れておられることも・・・

先生の奥様はM女子大のマンドリンクラブ出身と
誰かに聞いたことがあるが、確かめたことはない・・・

2011年3月6日日曜日

K氏の提言2!

K氏の提言
「あなたの中に沸き上がる感情を人々に伝えることが本当の芸術である。
全ては心である。音楽の心があれば何時も愛があなたのそばにいる。
そしてそれが生きる源になる。頭で考えるのではなく
心で感じそしてエネルギーを込めること。
音楽があれば言葉は要らない。
心が通じ合う。
テクニックは学べるけれど心はそうではない。
感じる心が必要である。
魂の音を作るためには。」

またまた、なるほど・・・と思う。
時々思い出して確認したい名言である。
またまた感謝。

2011年3月5日土曜日

K氏の提言!

K氏の提言
「頭で演奏するのではなく心で演奏することが最も大切である,
そうするとその一つ一つの音を通じて演奏者の思いや感情を
みんなに伝えることができる,」

なるほどと思う。
言葉にして見てみると、再認識できるな・・・
感謝!!!!!

2011年3月4日金曜日

パーカッションと合わせる日!

パーカッションのTさんと、合わせる日の調整を行った。
4月24日に決定。
それまでにしっかり勉強しておきたい。

パーカッションを入れるのは、

柳川抄、
細川ガラシャ、
アラビアの隊商、
セビリアの理髪師

になります。

よろしくお願いします。

2011年3月3日木曜日

ナレーターとの息合わせ!

次回の練習はナレーターの方と合わせる予定である。
本番を想定し、マイクを使う予定である。
ナレーターの方と合わせる時間は少ないし、限られている。
限られた時間ではあるが、最大の成果を上げられるようにしたい。


追伸
Fさんへ、メールを何本か返信したのですが、
全て返ってきます。???
写真は頂いたのです。

2011年3月2日水曜日

良い話!

良い話を聞いた。
長いが下記掲載する。
変な解説はいらないと思う。
久しぶりにジーンとするお話を聞けた。
感謝!


*****************************

「小児がん病棟での慰問演奏」
  渕上貴美子(杉並学院中学高等学校合唱部指揮者)
  『致知』2009年3月号
  特集「賜生(しせい)」より
 
(20年間の合唱指導の中で、
 特に忘れられない出来事をお聞かせください」の質問に)


 7年前、小児科の末期がん患者の病棟に
 演奏をしに行った時のことです。

 学校のある卒業生の方から

 「病院にいる子供たちに、あなたたちの
天使の歌声を聴かせてあげてもらえないか」

 とお話があり、私も「ぜひ」と言って
 受けさせていただいたんです。


 病院には全員ブレザーを着ていったのですが、
 黒っぽい服では威圧感があるからと、
 その場で上着を脱がされて、全身に消毒液をかけられました。

 寒い時期だったんですが、扉を開けると、
 物凄く暑くて、狭い部屋だったんです。
 
 目の前には、本当にこの子がもうがんなんだろうか、
 と思うような赤ちゃんから、
 放射線で髪の毛がぼさぼさになってしまっている子、
 頬全体が陥没して顔が半分ない子だとか、
 もうそれは、見ただけでも
 体に震えがくるようなひどい状態の子たちがたくさん……。


 その子たちの前で、私たちは部屋の隅っこのほうに
 へばり付くように立ちました。
 
 敷かれたホットカーペットの上には、
 お母さん方も座っていたり、
 廊下にはドクターや看護師さんの姿も見えました。
 
 私は壁の一番端に行って、指揮棒を振ったんですが、
 もう涙が止まらなくて、本当に……。


 私の目の前で、お母さんが乳飲み子をギューッと抱えながら、
 涙をポロポロ零すんですよね。
 
 あぁ、自分の子はこんなに
 大きくまで育つことができないんだ、とか、
 いろいろ思われたんじゃないかと思うんですが、
 看護師さんもドクターも皆泣いていらして、
 泣いていなかったのは、当のがんの子供たちだけで。


 私も我慢しなくちゃ、と思うんですが、
 もう悲しくて悲しくて、
 生徒たちも涙をポロポロ零しながら、
 でも必死に笑顔をつくって、一所懸命歌って。
 
 そしたら歌が終わった後に、
 髪の毛のない子や顔の陥没した子たちが

 「お姉ちゃんたち、どうして泣いてるの」
 
 って言うんです。看護師さんが
 
 「あなたたちがあんまり一所懸命聴いてくれるから、
  お姉ちゃんたち感動しちゃったのよ。楽しかった?」
  
 と尋ねました。するとその中の一人が
 
 「凄く楽しかったぁ。
  大きくなったらお姉ちゃんと一緒に歌いたい」
  
 って、もう私、本当に胸が張り裂けそうで…。
 
 
 その時に、心から、あぁ歌は素晴らしいと思いましたし、
 いま生きていて、自分のできることを一所懸命やることが、
 どんなに大切なことかを凄く強く感じました。


 その帰りの電車の中で、ある生徒が
 
 
 「先生、あんなに皆を悲しませちゃって、
  私たちが合唱をしに行ったことは
  本当によかったんだろうか?」
  
 と言ったんです。何しろあの場にいた大人たちが
 あまりにも涙を流していましたから。

 その時に私は
 
 
 「うん、よかったんだよ。
  たぶん、お母さんも、病院の先生も、看護師さんも、
  皆悲しくて、もう泣きたくて、泣きたくてね。
  
  でも、いま一所懸命生きている子たちの前で
  泣けないでしょ? 
  
  それを、あなたたちの歌で感動したふりをしてね、
  思いっきり泣くことができたからよかったのよ。
  
  明日からまた笑顔で頑張っていけると思う」
  
 と言ったんです。すると生徒が
 
 
 「そうか。じゃあ私たちの歌で少しは楽になったのかな?」
 
 
 と言うから
 
 
 「そうよ。そして歌を聴いていた子たちが
 『お姉ちゃんと一緒に歌いたい』と言った。
  生きよう、って。
 
  いや、生きるということは分からないかもしれないし、
  もしかしたら一か月後には命がない体かもしれないけれど、
  少しでも希望を持って生きようとしたということは、
  素晴らしいことだから」
  
 
 と話して、お互いに感動しながら
 学校に戻ったことがあるんです。


 私は、生きているということは、
 自分一人がここに存在して、
 ただ呼吸をしているのではなく、
 いろいろな人と出会って、怒ったり、笑ったり、悲しんだり、
 苦しみを分かち合ったりして、
 相手の心や周りにいる人たちの心を、
 ちゃんと感じられることではないかと思うんです。


 私が慰問演奏に行った時に、
 「いまを大切に生きなければ」と強く思ったのは、
 幼くして亡くなってしまう子たちもいるんだから
 頑張って生きよう、という思いではなくて、
 あの時、あの部屋の中で、
 それぞれの人の心がうごめいていたんですね。

 無邪気に喜んでいる子供や、
 日頃泣けない家族の人たち……、
 そういう、たくさんの思いが
 満ち溢れている中に入ったから、
 あぁ、ちゃんと生きていかなくちゃ、
 神様から与えられたこの命を、
 大切にしなくちゃいけないと感じたのだと思うんです。


 谷川俊太郎さんの詩に
 
 
 「生きているということ
 
  いま生きているということ
 
  泣けるということ
 
  笑えるということ
 
  怒れるということ」
 
  
 という言葉がありますが、本当にそんな思いですね。
 
 そうやって、いろいろな人の思いを感じられることで、
 人間は生きている価値が生まれてくるものだと思います。

2011年3月1日火曜日

一歩上の段階へ!

2月27日の練習を通じて、トップだけでなく、
メンバーひとりひとりの音が着実に出だしたように感じる。

メンバー各人の音が出始めると、今までなかった課題も
見えだしてきた。
ドラのグリッサンドの問題がその例である。
今までは出てこなかった課題が、見えだしてきた、
メンバー各自の音が出始めると同時に。
板をこする「キュ、キュ」という音が耳触りになってきた。
もちろん、弦をこするのは問題無いのだが。
おそらく、個々人が意識をして下されば直る問題である。

これからは、個別の課題の克服というステージ(段階)に
なってくるのだろう。
これも楽しいステージである。