2011年2月28日月曜日

演奏に対する考えをまとめるツール・・・ブログ

演奏に対する考えをまとめるためのツールとして、ブログは役に立つ。
構想を文章にして明確にすることができるし、
メンバーの方々にも思いを、ブログや練習を通じて伝えることもできる。
あの時どんなことを考えていたのかということを、単語で検索もできる。
ありがたいツールである。
便利すぎるのも考えものだという向きもあるようだが、
上手に活用することによって、
コミュニケーション・ツールにもなる。
要は、活用の仕方であろう。

2011年2月27日日曜日

2月27日(日)練習!



コンマス氏は東京マラソンに参加。
3時間49分13秒で完走されたとのメールが入る。

2月27日(日)練習!

<場所>
磐手公民館 大集会室
<メンバー>
1st:6、2nd:7、dola:6、 cello:2、 guitar:14、
bass:2、指揮者:1 計38名。

<連絡事項> 
・3/27 1st・2ndパート練習
・Yさん数年振りに復帰。ギターではなく2ndで。
・古切手収集

<練習>
9:00-12:55

2部:ビギン・ザ・ビギン
   知りたくないの
   Kaw Liga
   星に願いを
   ラグタイムバンドメドレー
   峠の我が家
   マイ・ウェイ
   ユー・アー・マイ・サンシャイン・・・お客様と一緒に歌うとか

    *おそらく本番もこの順になるのだろう。


3部:アラビアの隊商
   わが心の花
   セビリアの理髪師

1部:日本の幻想
   柳川抄    
   細川ガラシャ

<所感>
2部はお客様と歌うなど、楽しい構成になりそう。
おもしろそうである。

3部のセビリアは余り走らず弾けていたと思う。
後はパワーがほしいところ。

1部は、日本の幻想を少し重点。
柳川抄のドラのグリッサンドのすれる音が気になる。
各人解決して下さるだろう。

<昼食時>
ギターのHさんの指のリハビリ状況をお伺いする。
毎日懸命のリハビリを続けておられるようである。

アンコール候補曲として、NHKの朝ドラの「てっぱん」の
テーマ曲があがる。
私は全く知らない曲。
ただ、ヒロインがソニー損保の宣伝に出ていることは知っているが。

次週は、ギターのHさんの先生である
北口先生のコンサートに行く予定である。
約1年ぶりか。
私のギターの先生である岡本一郎先生の
お弟子さんでもあった北口先生のコンサート。
今から楽しみである。

しかし、たかマンメンバーには、マンドリン以外に趣味を持つ人が多い。
コンマス氏を筆頭に、結構活躍しておられるようである。

2011年2月26日土曜日

3か月後が本番!

3か月後が本番!
そろそろ追い込みをかけよう!

2011年2月25日金曜日

27日の練習計画!

27日の練習計画!

今回の練習もritを明示し重点練習したい。
それからフレーズの変わり目の最初の音が
出るようにしていきたい。

練習順番は、本番通り。

1.日本の幻想「会津磐梯山と八木節」
2.柳川抄    
3.細川ガラシャ


ナレーターのMさんから合わせたいという
うれしいお言葉を頂いた。
3月13日に合わせたいと考えています。

2011年2月24日木曜日

ガラシャ!

またまたガラシャにこだわってみた。
なぜ、ガラシャがクリスチャンになったのか?

<玉は心のよりどころを求め、1587(天正15)年、
キリスト教の洗礼を受けた。細川ガラシャの誕生である。
悲しみに心を閉ざし、怒りっぽく無愛想だったという玉は、
明るく柔和で、辛抱強く愛らしく 「別人のようになっ
た」と修道士の書簡は伝える。
「困難に出会って人の徳は最もよく磨かれ、
美しい光彩を放つようになる」との教えで心は定まった。
1939(昭和14)年に戯曲「細川ガラシア夫人」を書いた
ヘルマン・ホイベルス神父は、序にそう記した。
玉は、輝きを取り戻し始めた。>

どんな思いであったのか、
推測でしか考えられないが、
苦労をした人の向上は、輝かしいものである。
落ち込んだ沼が深ければ深い程、
這い上がった後の輝きは大きいのだろう!

2011年2月23日水曜日

たかつきサウンズを作る上の基本理念!

Kさんが「たかつきサウンズを作る上の基本理念」を掲げておられた。


1.たかつきマンドリン倶楽部の部員相互が敬愛の念を持って、
  お互いに尊敬し合うこと。
2.音作りにおいて、全ての人が平等であること。上下関係は一切無いこと。
3.フィジカルテクニック、いわゆる技術はお互いに助け合うこと。
4.少しでも技術の向上を個人個人で努力すること。
5.指揮者はみんなの音をまとめ、曲の解釈をし、その楽曲を通じて、
  聴く人々に感動してもらうよう切磋琢磨すること。
  そして、合奏者と一体になって音作りすること。
6.コンサートマスターは、指揮者の意図を理解し、
  指揮者の考えている音作りを尊重し、それに最も近づけるよう
  合奏団全てを特に技術的にまとめること。
7.各パートリーダーは、コンサートマスターと相談をしながら
  各パートの音作りをまとめ上げること。
8.各部員にとって合奏している時が最も楽しい時間であること。


Sさんも、
「Kさんの書き込みは、実に的確に的を射ていますね。
私も同感です。いい音楽表現は良い人間関係からしか生まれません。
技術的に優れていても無味乾燥な演奏ってありますよね。
そんな音楽は面白くなく、聴く人に感動してもらうことは出来ません。
自然体でしかも感情豊かな音を目指したいですね。」
とコメントしておられた。

良いコメントである。

ちょうど、会社の経営理念を見直す事務局をしているところなので、
個人的にはかぶるところが大きい。


私も、どんどん形にしていきたい!

2011年2月22日火曜日

たかつきサウンズ!

K氏が「たかつきサウンズ」を下記策定しておられた。
良いお言葉が並んでいる・・・
私も、無意識ながら、下記を目指しているように思った。
言葉にしてメンバーで共有できたので、
イメージを統一することができて良かったと思う。
K氏には感謝します。

> 1.感情豊かな音 Soulful Sounds
> 2,温かい音 Warm Heart Sounds
> 3.美しい音 Beautiful Sounds
> 4. 団結した音 Group Sounds
> 5.自然体の音 Natural Sounds


ところで、管理人様が文字のフォントを修正されたのだろうか(^^)。

2011年2月21日月曜日

1stパート練習!

1STは13日の練習後、パート練習をされたとのこと。

「緊張感の中にもコミュニケーションが取れて良かったと思います」

良い信頼関係の上、密度の濃い練習をされたのだと思います。
ありがとうございました。

「管理人さんが書き込み楽譜を掲載していただけたので
楽譜合わせの時間を簡略出来き助かりました」

ここにもIT化の波が来ていますね。

便利になったものです。
便利なものをうまく活用し、向上していきましょう。

2011年2月20日日曜日

高槻市後援!

Aさんのおかげで、今年の定演も「高槻市後援」が頂けたとのこと。
ありがたい!

「ぶじ受けることが出来て、ことしも定演にはくがつきました。
出来ることは前向きにやろうという役員の皆さんの気持ちです。
感謝いたします。」

と掲示板にあったが、その通りだと思う。
Kさんのいう温かい和のハーモニーである。

2011年2月19日土曜日

テンポ!

ホンワカ至宝さんという方が、掲示板に投稿されていたが、

<感心したのはPとfの明らかな差。そして両手に二ツづつの
マレットを持って指の間隔をうまく調整しながら叩き、
しかも曲想に合った自然な体の動きもあり、
大いに参考にもなりました。
和音の流れや低音部と高音部の音程の開き具合が
視覚的に感じられるのも面白かった。>

明らかに意識して弾かないとできない芸当である。
曲のイメージを工夫して作っておられたのではないか
と推察する。
思い入れもたっぷり弾かれたのであろう。

<ただ惜しむらくは、どの曲も一様にテンポが遅すぎたなぁ。
以前別の場所で聴いた指揮者ナシのマンドリンアンサンブルも
そうでしたが、多分これはお互いに相手に合わそうとする
気持ちが出すぎて、慎重になり見合い状態になっていたのだと
思います。曲にもよりますが、普通はリズムセクションの楽器が
テンポを“少し早めに”リードするほうがうまくいくようです。>

指揮者なしで、アマチュアが大人数で演奏すると、大概こうなります。
誰かが速弾きを拒否すると、皆がそれに合わさざるを得なくなるから
でしょうね。
ここで誰か多少カリスマ的な方が、速弾きを突っぱねたら、
こういう傾向はなくなるのですが。

2011年2月18日金曜日

1部の練習の成果・・・

1部の練習の成果については、大きな手ごたえを感じている。
コンマス氏によると、1部は全体的に簡単とのこと。
ありがたいです。

個人的には、下記のように仕上げていきたい。
1stは、高音とフレーズの頭の音がきちんと出るようにしていきたい。
要は自信を持って弾いて頂ければと思う。
2ndは、裏のメロディーで大事な音をきちんと出るようにしていきたい。
ドラは、もっと歌うようにレガートな音にしていきたい。
チェロは、低音の響きがしっかり出るようにしていきたい。
ベースは、どっしりと安定した音が出るようにしていきたい。
ギターは、今回は聴かせどころが多いので、音がしっかり出るように
していきたい。
日本の幻想の太鼓、柳川抄の川の流れ描写、ガラシャのお琴等が、
その好例。

先日の練習からは、ritを明示し重点練習した。
次回以降も重点を置く。
それからフレーズの変わり目の最初の音が出るようにしていきたい。

2011年2月17日木曜日

パーカッション!

昨日、Tさんにパーカッションの譜面と参考用のCDを
お送りした。
演奏会も近づいてきたな・・・

2011年2月16日水曜日

井上 靖  「一座建立」!

「その場に居合わせた者が、
互いに相手を尊敬し心を合わせ、
心和んだ時間を共有する。」 (井上 靖)


良いお言葉である。
たかマンのことを言って下さっているように思える。

2011年2月15日火曜日

ギターの重点練習箇所!

ギターの重点練習シート。
ありがたい。
I-PADで電車の中でも見て勉強できる。
パート譜もPDFで見れるようにしたので、
音源を聴きながら、このシートで確認できて便利である。
中田さんに感謝します。


2011年2月14日月曜日

定演に向けて!

定演に向けて形はできてきたと思う。
後は、各パート・各人の課題の克服であろう。

2011年2月13日日曜日

2月13日(日)練習!

2月13日(日)練習!

<場所>
奥坂コミュニティセンター
<メンバー>
1st:9、2nd:4、dola:7、 cello:2、 guitar:11、
bass:2、指揮者:1 計36名。

<連絡事項> 
・1stに子連れの新人さん参加。
・午後からは1stのパート練習。
・合宿:4/16・17

<練習>
9:30-12:55

3部:アラビアの隊商
   セビリアの理髪師

2部:ビギン・ザ・ビギン、知りたくないの、Kaw Liga、
   星に願いを、マイウェイ、峠の我が家(新曲)

1部:日本の幻想
   柳川抄    
   細川ガラシャ

<所感>
やはり課題はセビリアか。
トリルの速さと長さが、全体にずれている。
2部の指揮はスムーズであったと思う。

1部はritの部分を確認した。
後は各パートの課題を確実に消していくことであろう。

子連れのお子様は割合とおとなしく
礼儀も正しかったように思える。
広島女学院中・高のマンドリンクラブ出身とのこと。
広島女学院は、おそらく日本でも5本の指に入る名門
であると思うだけに戦力として大いに期待できると思う。
大学も立命館であったとのことなので、
鈴木静一氏の曲も慣れておられるだろう。
鈴木氏の両曲も弾いたことがあるというのも、
心強い!
ただし、転勤族であるがゆえに、長くは期待できないだろう。
しかし、一時でも戦力になって頂けるのはありがたい。

<昼食時>
アンコールは、坂本冬実の「また君に恋してる」になるのかと
メンバー間で予想。
今日からギターのHさん復帰。
快復も速く、本当に良かったと思う。
久しぶりにマラカスも入る。
パーカッションのお二人とも指の手術をされての
復帰であるだけに、無事の快復をお祈りしたい。

さて、1stのパー練はいかがであったのでしょうか・・・


先程、大河ドラマ「江」を見たが、
明智光秀を中心に「江」と細川ガラシャの命運が
変わっていく様は、時代の、家長制度のひにくさを感じる。

2011年2月12日土曜日

13日の練習計画!

13日の練習計画!

全体的には良く音が出ていると思う。
乗ってしまえば、スーッと流れる曲が多いことも確か。

次回の練習からは、ritを明示し重点練習したい。
それからフレーズの変わり目の最初の音が
出るようにしていきたい。

練習順番は、本番通り。

1.日本の幻想「会津磐梯山と八木節」
2.柳川抄    
3.細川ガラシャ

2011年2月11日金曜日

合宿!

合宿の連絡があった。
今年は、4月16・17日。
もうそんな時期か・・・
身の引き締まる思いである。

2011年2月10日木曜日

子連れ入部希望者!

子連れ入部希望者が、次回の練習に来られる。
去年の8月末に高槻に引越してきたそうだ。

中学からマンドリンをはじめ、大学まで続けてきたそうで、
結婚後しばらく楽器からはなれていたそうだが、
2年前から再開したそうで、
大いに戦力になると思う。1stでお願いしたいところ。
確かにまた、転勤される可能性は高いが・・・

今も以前住んでいた名古屋の団体に所属しているそうだ・
なんと熱心な・・・
私の知っている団体かもしれないが。

ちなみに、お子さんは6歳・4歳とのこと。
たかマン皆でかわいがりましょう!

以前いたモザールでも子連れ参加はたくさんいたので、
多少は慣れている。

<まだまだ子供に手がかかる時期ではありますが、私自身の
リフレッシュも兼ね、楽器を続けられたらと思っています。>
とのこと。頼もしい!

モザールでは、子連れは普通で、
団員の誰かが休憩がてら遊んでいました。
子供同士でも結構遊ぶと思いますよ。

たかマンの練習場所には図書館もありますから、
本を借りて後ろで読んで待ってもらっても良いですよね。

奥坂コミュニティセンターは近所とのこと。
お近くの方もおられるので、皆さんで温かくお迎え
しましょう!!!!!

2011年2月9日水曜日

フルート候補者検討中・・・

賛助の十鳥さんと連絡が取れた。
フルート候補者とは、一度練習をして、
決定して下さるとのこと。
ありがたい!

2011年2月8日火曜日

またまた柳川抄の復習・・・

またまた柳川抄の復習・・・
コムラードのHPより。


「我が生い立ちの記」  (朗読) 初版
“古い時代の白壁が今も懐かしい影をうつす”

 〔1〕流れ

 私の郷里、柳川は水郷である。
自然の風物はいかにも南国的であるが、柳川を貫通する数知れぬ
掘割のにほいには、日に月にすたれゆく古い時代の白壁が、今も
なお懐かしい影をうつす。

わが町に来る旅人は、その周囲の平野に、遠く近く、銀の光を
はなつ多くの川を見るであろう。
そうして歩むにつれ、その水面に菱の葉、蓮、真菰、河骨-さまざ
まの浮藻の強烈な更紗もようを見いだすであろう。

水は清らかに流れて、すたれ果てたノスカイ屋(遊女屋)の厨
の下を流れ、洗濯女の晒布(さらし)にそそぎ、水門にせわれて
は黒いダリアの花に嘆き、酒造る水となり、汲水湯に立つ湯上り
の娘の唇を嗽(そそ)ぎ、そして夜は観音講の堤燈の灯をちらつ
かせながら、海近き沖の端の塩川におちてゆく。
静かな流れは、こうして昔のままの白壁に寂しく光り、芝居見物
の水路となり、舵を奔らせ、変化多き少年の秘密を育む。

水郷、柳川はささながら水に浮いた“灰色の柩”である。

柳川は太古の昔、潮が満ち引きする潟だったと言われています。
筑後川や矢部川などが運び込む土砂が、
有明海に広大な干潟をつくり、その干潟に堤防を築き、干拓
開墾してできた街です。
有明海は干満の差が激しい海で、その差は最大6メートルにもなり、
海抜0メートルが続く土地の大部分が満潮時は海面下になります。
古くから水不足に悩まされてき
た人々は、矢部川やその支流に井堰をつくり、
掘割を通して水を引き込み、農業用水
や生活用水を確保してきました。
柳川市域での掘割の総延長は実に470キロ。
しだれ柳が緑の影を落とし、水面には
花菖蒲が咲き乱れる掘割(クリーク)。 
そして城内の静かな家並みを下るドンコ船。
今でこそ年間約100万の人々が訪れる観光名所として
脚光を浴びる掘割ですが、こう
した生活の歴史を育んできた用水でもあるのです。
ンコ船にて掘割を下る (70分大人¥1,500)
掘割に沿って遊歩道・白秋道路がある
往路は遊歩道を歩き 復路はドンコ船がお勧め


〔2〕おそれ

 “あの眼の光るは、星か蛍か鵜の鳥か
  蛍ならば お手にとろ 
  お星さまなら拝みましょ…”

幼い時、私はよくこういう子守歌をきかされた。
そして、恐ろしい夜におびえながら、乳母の背から、
首の赤い蛍を掴んだ時、どんなに好奇の心に顫えたであろう。

少年になっても私は夜が怖かった。
何故にこんな明るい昼のあとから“夜”という厭な恐ろしいもの
が来るのか? 私は乳母の背に抱きついて慓るえたものだ。
真夜中の時計の音は、また妄想に痺れた。
トンカ・ジョーンの小さな頭脳に生臟(いきぎも)とりの血のつ
いた足音を刻みつけながら、時々深い奈落に引き込むようにボー
ンと時をうつ…
 

 “あの眼の光るは、星か蛍か鵜の鳥か
  蛍ならば お手にとろ 
  お星さまなら拝みましょ…”


関ヶ原の戦い以降柳川を治めた田中吉政
は掘割の整備・天守閣の築造・道路の新
設・整備や有明海岸の埋め立てなど土木
事業に数多くの業績を残しました。


〔3〕水落ち

 九月…祇園会が終わり秋もふけて、線香を乾かす家、からし油
をしぼる店、ローソクを造る娘、提燈の絵をかく義太夫の師匠---
すべてがしんみりとした物の哀れを知る十月の末には、まず秋祭
りの準備としで柳川の掘割は、水を干され、魚は掬われ、なまぐ
さい水草もどぶ泥もきれいに浚い尽くされる。

 この“水落ち”の楽しさは町の子供の何にも代え難い季節の華
である。そうしてこのひと騒ぎのあとから、また久しぶりに奇麗
な水は廃市に注入り、楽しい祭りの前ぶれが奇妙な道化師の姿で
ラッパをならし、拍子木を打ち、町から町へとめぐり歩く。

 祭りのあとの寂しさは、また格別である。
野は火のような櫨の紅葉に百舌がただ啼きしきるばかり、何処か
らとなく漂流うて来た傀儡師の背で生白い人形の首が、眉を振る
物凄さも何時人々の記憶からかき消えて“灰色の柩”柳川に寂し
い、寂しい冬が来る。


現在の“水落ち”

TAXIの運転手さんによると現在の水落ちは2月に行われ 
濁った水は有明海に流される
市民が掃除をするわけではなくもっぱらバキュームに
頼っていると言う 
その期間は観光はクローズし 川開きは3月1日
その為に冬から春にかけては掘割の水は綺麗だそうだ


明治18年、柳川・沖端に誕生した北原白秋の生家は、
代々屋号を「油屋」とか「古問屋」と称する海産物問屋
でしたが、白秋の父の代になると、柳川地方でも一、二を
あらそう酒造業を営むようになりました。当時の北
原家屋敷は、一町三反という広大な敷地を有し、
母屋との間には、流れのきれいな掘割りがありました。
しかしそんな生家も、明治34年の沖端大火災で大半を焼失。 
母屋と一つの穀倉だけが難を逃れ、昭和44年11月に
復元され、平成元年2月には母屋に附属していた
隠居部屋も復元されました。 現在、この生家内には白秋の
著書や遺品、さらには柳川の風物にゆかりの深い
資料が数多く展示されています。この生家は、
記念的な建物であると同時に、柳川地方の明治時代の
商家の形態を知る上で、重要な建物といえます。
(文章引用:北原白秋記念館)

2011年2月7日月曜日

柳川抄の復習!

柳川抄に関する復習も・・・
以下は鈴木氏の文書。


“私の近作について” 東京都 鈴木 静一

音楽詩「柳川抄」  (北原白秋の生い立ちの記による)
      1969年10月

大正から昭和中期にかけ活躍した北原白秋の詩は、
思春から青春に移ろうとする頃の私を異常
に刺戟し、音楽と詩の両道の選択に迷わされた想い出がある。
その後、招かれて入社した日本ビクターで、
白秋の詩によるゴンシャン~マンジュンャゲなどの録音
(作曲山田耕作氏)で北原氏に会い“灰色の柩“と
彼自身が呼ぶ、柳川のたたずまいに就いていろいろお話
を聞いた-その頃から私は柳川に制作欲を感じていたが
1968年、九大MCに招かれ福岡を訪れた折、一日柳川に遊
び、今日もなお、白秋の頃の面影を残す、
晩秋の柳川の寂しさと深い詩情に溢れる、
流れに、街に、また子供たちに云い知れぬ懐しさを抱き、
この一編を書き上げたのである。
最近の私は編成の増幅に駆りたてられがちであるが、
この曲は純マンドリン楽とし、ただ“水落ち“の
登りの叙景に一本のフリュートを加えた。 
さらに白秋の「我が生いたちの記」による
散文詩の朗読を音楽の一部として組み入れたものである。

昭和46年(1971年)6月30日発行 
GMO機関紙「フレット」第14巻・第2号(通号第58号)

2011年2月6日日曜日

細川ガラシャ!

細川ガラシャについて、コムラードのブログから再復習。


愛の旅人 “ガラシャ”

信長・秀吉・家康が登場する歴史物に、エピソードの脇役
として登場することの多いガラシャ。日本の歴史
の大きなうねりの中に、その名を残す数少ない女性
・・・ ガラシャ。
NHK大河ドラマ「功名が辻」においても、丹後の国
味土野の山中で幽閉生活を送っている。
そのやさき、2006年6月24日(土)の朝日新聞朝刊
Be on Saturday 「愛の旅人」にて細川ガラシャ夫人が
取り上げられ京都・味土野と大阪・玉造が紹介された。


(引用:朝日新聞)
< 細川ガラシャと忠興 >

京都・富津から、天橋立をつたうようにして対岸へ渡り、
丹後半島の山中に車で1時間余り分け入る。 住宅や田畑
といった人の気配が次第に間遠になり、緑ばかりが濃く
なっでいく。
京丹後市弥栄町の味土野地区。谷の奥の細い道を登り
きったところに「女城跡」(めじろ)はあった。
1582(天正10)年夏から約2年間、宮津城主細川忠興の妻・玉
が隠れ住んだところだ。小さな丘の上にこぎれいな空間
が広がり、「細川忠興夫人隠棲地」の碑が立つ。
ここに小さな館があったらしい。
昭和初期の味土野には約40戸が点在したというが、
現在はわずか3戸。豪雪などで住民が次々と去り、分校
も閉鎖された。夏の涼風とそばが好評だった分校跡の
「ガラシャ荘」も、閉鎖されて久しいという。
本能寺に織田信長を討った玉の父・明智光秀は、
10日余りののち、謀反人として非業の最期を遂げた。
「謀反人の娘」となった妻を、忠興は家臣と侍女を
つけて味土野へ送った。

 政略結婚だらけの戦国時代。実家が敵方となった嫁は
実家に帰されたり、殺されたりするのが常だった。
まして謀反人の家族は根絶やしが「常識」。
しかし、忠興は玉を隠した。
女城と向き合う斜面には護衛のための男城を設け、
織田方・明智方からの襲撃に備えた。 
「この美しい宝は誰にも渡さぬ」。楊貴妃桜のように
あでやかな美貌、とうたわれた妻への、
忠興の並々ならぬ思いを感じる。
琵琶湖畔の坂本城(大津市)、堀のある勝龍寺
城(京都府長岡京市)、天橋立を望む海辺にある宮津城-広々
とした水のある風景の中で暮らしてきた20歳の玉は、
ここでの暮らしをどう受け止めただろうか。                            
ガラシャが幽閉されていた味土野には、深い山中に
石碑だけが立っていた(京都府京丹後市)

2年後、天下人となった父の敵羽柴(豊臣)秀吉に
許された玉は、大坂城にほど近い忠興の屋敷に入り、
夫や2人の子どもと再会した。
だが、ともに教養が高く、激しさをもち、仲が良かった
という夫婦仲は、様変わりしていた。
忠興が留守中に側室を置いたのも一因だったが、
玉自身も大きく変わっていたのだろう。
玉は2児を次々と産んだが、「籠の鳥」でもあった。
独占欲が強い上、玉の美しさが女好きの秀吉の目に触れ
ることを恐れた忠興は、外出を禁じた。

玉は心のよりどころを求め、1587(天正15)年、
キリスト教の洗礼を受けた。細川ガラシャの誕生である。
悲しみに心を閉ざし、怒りっぽく無愛想だったという玉は、
明るく柔和で、辛抱強く愛らしく 「別人のようになっ
た」と修道士の書簡は伝える。
「困難に出会って人の徳は最もよく磨かれ、
美しい光彩を放つようになる」との教えで心は定まった。
1939(昭和14)年に戯曲「細川ガラシア夫人」を書いた
ヘルマン・ホイベルス神父は、序にそう記した。
玉は、輝きを取り戻し始めた。


< 花散らし乱世生き抜く >
大坂城の南、玉造(大阪市中央区)の細川屋敷で、
ガラシャ(玉)は、16年間ほとんど外に出ることなく、
キリスト教を学び、洗礼を受けた。その敷地の一部に、
白壁のカトリック玉造教会が立つ。入り口にはガラシャ像
がたたずむ。大聖堂の正面に掲げられた壁画には
聖母マリアのそばにガラシャが描かれ、炎に包まれた中
で最期の祈りをささげる姿の壁画もある。
細川邸跡を意識することなく建てられたが、
1963年に建て替えた際に、親しまれる教会にしようと飾られた。
神父の神林宏和さん(68)は「地元ではガラシャヘの関心が
強いのです。数年前までは顕彰祭があって司祭
が招かれていましたよ」と説明する。

しかし長い間、カトリック教会内でのガラシャの立場は微妙だった。
教えが禁じている自殺をしたと考えられ
ていたからだ。「江戸幕府のキリシタン迫害で、
記録が少なかったために誤解されたんですね」と神林さんは
言う。ローマ法王庁の古文書館に残る、
和紙に細筆でつづった宣教師たちの手紙などを調べてガラシャの
実像に迫り、自殺ではないという観点で戯曲を書いたのが、
上智大の学長だったヘルマン・ホイベルス神父
だった。
ガラシャ隠棲の地・味土野の発見にも一役買ったホイベルス神父は、
それまで 「自害して夫と家族を守っ
た貞女の鑑」とだけ伝えられていたガラシャ像に、血を通わせた。
教会から大坂城へ向う道路脇に、ガラシャ
も使ったとされる井戸「越中井」があり、
徳富蘇峰の筆によるガラシャ辞世の歌が刻まれた碑が立つ。
  
『 散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ 』
                                                 ガラシャ最期の地、細川屋敷跡に立つカトリック玉造教会の
大聖堂で、日曜のミサが
行われていた。堂内にはガラシャの姿がそこここに(大阪市中央区)
その「時」を決めたのは、夫忠興だった。
忠興は常々、屋敷を離れる時は 「万一妻に危険が及んだら、妻
を殺して切腹せよ」と家臣に言い置いた。美しい妻を誰にも渡す
まいとしたのだろう。
ガラシャもそのことを知った上で、武将の妻として、
キリシタンとしてふさわしく死ぬにはどうしたらよいかと、神
父に手紙で相談していた。徳川家康率いる東軍と、
石田三成率いる西軍が激突した関ケ原合戦の前夜、忠
興が徳川軍に加わるために出陣した時も、そうだった。
 家康を背後から攻めようとした三成は、
徳川軍の混乱を狙い留守宅の妻を人質にしようと、まず忠興の屋
敷を囲んだ。ガラシャは子どもや侍女を逃がし、
家臣の刃を受けて死去。屋敷には火が放たれ、焼け落ちた。
1600(慶長5)年7月17日、38歳だった。
スペイン出身のキリシタン史研究者で、
日本二十六聖人記念館(長崎市)の前館長、結城了悟さん(83)は
「彼女はキリシタンとして死にましたが、それは信仰ではなく、
夫のための死でした」と話す。ガラシャの死に
よって他家から人質を取れなくなったばかりか、
人心まで失った三成は大敗。忠興は家康の信用を勝ち得た。

忠興は、宣教師ルイス・フロイスの書簡に「生来非常に乱暴で、
特に嫉妬深く、邸の中で厳格」と書かれ、
ガラシャや侍女たちの信仰を邪魔する悪役として登場することが多い。
「でも、宣教師の手紙には、ガラシャは初め、忠興を通して、
高山右近が語ったキリスト教の教えに触れたと
あるのも確かです」と結城さんは言う。秀吉のキリシタン弾圧が
緩むと、邸内に祈りの場を設けるなど、ガラシ
ャの信仰に理解を示すこともあった。
 細川家には、ふたりの愛の遺品がわずかながらも残る。
ガラシャが仕立てたという忠興の上着、その中に
入っていたガラシャ手描きの墨絵をあしらった袱紗(ふくさ)、
忠興が亡きガラシャのために作らせたとみられ
る南蛮鐘・…。現当主の元首相、細川護煕さん(68)は
「幕府の手前、足跡を意識的に消したということもある
のか、ガラシャの史料はわずかですが、ふたりは大変信頼し
あっていたと思いますよ」と話す。

忠興はガラシャの死の1年後、大坂でキリスト教式の葬儀を営み、
涙を流した。 新領地となった小倉(北九
州市)にも、ガラシャと文通していたグレゴリオ・デ・セスペデス神父を
同行させた。教会を建て、ガラシャの命
日にはミサをあげてもらうなど、妻をしのび、
キリスト教のよき理解者としてふるまった。
しかし、1610(慶長15)年ごろ幕府のキリシタン弾圧が強まると一変。
セスペデス神父の急死や禁教令を機に
迫害に転じた。
時流を読み、したたかに乱世を泳ぎ切った忠興は、
押しも押されもせぬ大大名となり、83歳で死んだ。
ふたりの墓は、熊本と京都の寺で、寄り添うように立っている。

2011年2月5日土曜日

細川ガラシャの復習!

今日から、細川ガラシャのことを復習しておきたい。
次回の練習のために・・・


劇楽 「細川ガラシャ」 鈴木 静一 作曲

本曲は織田・豊臣時代の動乱たえまなき世に明智光秀の
三女に生れ、信長の媒酌で細川忠輿に嫁したが、
父光秀の謀反に端を発した波乱多き37年の生涯を送り、
最後は秀吉亡き後の豊臣方の策謀に抗して、
自らの決意で侍臣の刃先を胸もとに受けて
火焔の中に身を投じ、徳川幕府300年間 熊本城主細川と
家系を永続させる礎となった麗しき烈婦細川ガラシャを描い
た譚詩曲である。
作曲者は昭和10年頃、故長田幹彦氏が脚色演出した舞踏劇
のために作曲したが勿論その原譜はなく、
僅かにかすかな記憶に残るガラシャのテーマだけを
採り上げて動乱や聖歌のイメージ等を
新たに作曲、全く別個の構想で劇音楽風に書き下したも
のである。本曲の大略は次のように解釈される。

序奏部Adagio・・・・・冒頭の短い悲痛な楽句の強奏はガラシャの悲運を
暗示する
Allegro・・・・・戦乱の動乱相継ぐ当時の不安な世代を表現する
Andante・・・・・宗教的な曲調はその頃信長・秀吉等に容認されたキリシタンの
伸展を語る
本能寺の変Allegro ma non troppo・・・・・ガラシャ苦悩の発端となった父光秀の
叛乱
Adagio Pesante・・・・・戦乱の悲哀
優美なガラシャElegante・・・・・琴の音を偲ばせるギターのリズムにフリュートの
ソロを前駝としてガラシャのテーマが導かれる、
高度の教養と端麗な容姿のガラシャが描写されるが、
悲運の哀愁もただよう
不安Poco Piu Mosso e stretto・・・・・低音部の不安な動きが世相の不安と
ガラシャの苦悩を描く
聖歌Adagio・・・・・心の不安をキリシタン宗門への信仰に求める。
しかしこの希望の光も石田三成等の圧迫の手に覆われる 
豊臣方の襲撃Presto・・・・・人質として大阪城内への移動に応じないガラシャに
討手の軍勢が向けられる。会津討伐の留守をあずかる
ガラシャは夫の命に従って、実名を死守する決意を定める
ガラシャの死Lento Espressiro・・・・・自殺厳禁のキリシタン宗の掟により、
侍臣小笠原小斉の刃先を受けて死す
                  
(1970.12.19~20 第4回全日本学生マンドリン連盟合同演奏会の
プログラムより)

2011年2月4日金曜日

ナレーション!

ナレーションの練習の感想を書いていなかった。
そもそも柳川抄は、Aさんの推薦曲でもあった。
朱雀門等のナレーション入り曲を模索したが、
10分程度の曲は少なかった。

柳川抄に決まった後、Aさんからナレーター・Mさんを紹介して頂いた。
娘さんとマンションの同じ号棟の方で、
学校の先生や司会・ナレーション、はたまたマンドリンを
やっておられた方ということであった。
話を持ちかけられ、自ら立候補されたということで秋にお会いした。
Aさんと3人でお話ししたが、半分漫才を聞いているような
楽しいひと時であった。
基本的に、仕事でも自ら立候補する部下に止めておけとは
言わない主義なので、
一度ナレーションを聞かせて頂くことにした。

先日演奏と合わせてみた。
ご自分なりに工夫して読んでおられたように思われた。
北原白秋が男性なので、男性ナレーターが良いという意見も
聞いたが、
大抵の楽団の男性ナレーターは棒読みか、堅過ぎる嫌いがある。
ナレーターのMさんにお願いすると、柔らかさは出ていた。
また、感情も出ていた。
この曲自体、少し暗めなので、落ち着いた雰囲気も
ほしいところである。
若い明るい青年の声では難しい。
また、コギャルでもダメである。
かと言って、暗いだけでもダメで、
お祭りのにぎやかさもほしい。

いろいろと考えて、Mさんで良いかと思っている。

ただ、男性がやろうと、女性がやろうと、
詩の内容が難しい。
柳川特有の言葉もある。
トンカジョーン(=子供)、
人形師=傀儡子=くぐつし、
ノスカイ屋=遊女屋 など。
しゃべるだけではわかりにくい言葉である。
パンフレットに解説文を入れないといけないかもしれない。

しかし、雰囲気だけでも伝わるので、
わざわざ解説文は不要かもしれない。
ナレーションとマンドリン音楽で十分聴かせるということで!


Mさんのお名前は、私の直属の部下と同姓である。
やりやすいのか、やりにくいのか・・・

2011年2月3日木曜日

木管賛助・十鳥(じゅうとり)博幸さん・・・

木管賛助予定の方は、
オーボエの十鳥(じゅうとり)博幸さんという。
十鳥さんの話が、あるブログに出ていた。
高槻ゆかりの方のようでありがたい!

以下はとあるブログから・・・

http://mecd.jp/?pid=3865149

♪店長“オタ丸”のコメント♪
オーボエと聴くとお堅いクラシックなサウンドをイメージしちゃいますが、
十鳥博幸ワールドはポップな要素やジャジーな要素がミックスされた
超聴きやすい楽曲ばかり!
オーボエの表現はジャンルを超えて新しい世界に運んでいってくれます!
おすすめ!

<バイオグラフィー>
12歳よりオーボエを始める。
2000年よりポップス・ジャズ・フュージョンのオーボエ演奏者として活動。
近年ではアカペラによるブラインドシネマコンサートや琴とのジョイント演奏。
日本の四季を独自の世界でアレンジ表現するなどアイデアに富んだ演奏で好評を得る。
また、自身のオリジナルCDをこれまで3枚発表するなど活動は多岐にわたる。
2006年高槻音楽コンクール奨励賞受賞

2011年2月2日水曜日

共有ファイルの充実!

「1stパート練習用楽譜」
投稿者:コンマス代理投稿管理人
投稿日:2011年 2月 1日(火)17時02分4秒

<裏HPに貼り付けました。1stパート練習用楽譜です。>

と掲示板に書いてあったので、仕事の休憩がてら、共有ファイルにも
1stパート練習用楽譜をアップしてみた。
実は先週から共有ファイルを少しずつ整理していた。
さらに充実させていきたいと考えている。

共有ファイルは下記の通り。
「サインイン」というところから入ることができます。

http://www.evernote.com/Home.action?__fp=koIGjxmiiW03yWPvuidLz-TPR6I9Jhx8&username=heroseven&rememberMe=true&login=Sign+in&login=true&_sourcePage=H7w8BBLYncLiMUD9T65RG9ZCS8k3ZqiOcvMVtI39TuE%3D&targetUrl=

ユーザーネーム:heroseven
パスワード:takaman


基本的には英語記載しかない。
早く日本法人か何かできてほしいところだが。

2011年2月1日火曜日

うまくまとめる!

コンマス氏に、「短い練習時間でうまくまとめているね。」と
お褒めのお言葉を頂いた。
大変光栄である。気恥ずかしいが。
普段の仕事の癖が出ているのかもしれない、
効率化や見える化やら
リーダーの方針説明の重要性など唱えているので・・・