2011年3月7日月曜日

北口先生のコンサート!



<チラシをクリックすれば、画像が大きくなります。>

Hさんのギターの先生である北口先生のコンサートを、
Nさんと一緒に聴く。

北口先生の音楽は、いつも真摯である。
曲毎に解説があり、約2時間半あっと言う間に終わる。

アンコールは月光と禁じられた遊び。
今回は、アンコールも含め、
一般の方が聴きやすい曲が並んでいたように思う。

基礎をきちんと押さえること、
曲のイメージをきちんと伝えること・・・
等を再認識できた一日であった。

ちらしの先生のプロフィールに、
<北京にて京都マンドリンオーケストラとの協奏曲共演>とあるが、
私が先生の略歴に絡めているのは、うれしいことである・・・

北口先生は京大の工学部に入学されただけあり、
コンサートのチラシはmm単位で修正される。
今回のチラシも先生なりのこだわりがあったと思う。
ギターの絵の上にお名前を入れておられることも・・・

先生の奥様はM女子大のマンドリンクラブ出身と
誰かに聞いたことがあるが、確かめたことはない・・・

2011年3月6日日曜日

K氏の提言2!

K氏の提言
「あなたの中に沸き上がる感情を人々に伝えることが本当の芸術である。
全ては心である。音楽の心があれば何時も愛があなたのそばにいる。
そしてそれが生きる源になる。頭で考えるのではなく
心で感じそしてエネルギーを込めること。
音楽があれば言葉は要らない。
心が通じ合う。
テクニックは学べるけれど心はそうではない。
感じる心が必要である。
魂の音を作るためには。」

またまた、なるほど・・・と思う。
時々思い出して確認したい名言である。
またまた感謝。

2011年3月5日土曜日

K氏の提言!

K氏の提言
「頭で演奏するのではなく心で演奏することが最も大切である,
そうするとその一つ一つの音を通じて演奏者の思いや感情を
みんなに伝えることができる,」

なるほどと思う。
言葉にして見てみると、再認識できるな・・・
感謝!!!!!

2011年3月4日金曜日

パーカッションと合わせる日!

パーカッションのTさんと、合わせる日の調整を行った。
4月24日に決定。
それまでにしっかり勉強しておきたい。

パーカッションを入れるのは、

柳川抄、
細川ガラシャ、
アラビアの隊商、
セビリアの理髪師

になります。

よろしくお願いします。

2011年3月3日木曜日

ナレーターとの息合わせ!

次回の練習はナレーターの方と合わせる予定である。
本番を想定し、マイクを使う予定である。
ナレーターの方と合わせる時間は少ないし、限られている。
限られた時間ではあるが、最大の成果を上げられるようにしたい。


追伸
Fさんへ、メールを何本か返信したのですが、
全て返ってきます。???
写真は頂いたのです。

2011年3月2日水曜日

良い話!

良い話を聞いた。
長いが下記掲載する。
変な解説はいらないと思う。
久しぶりにジーンとするお話を聞けた。
感謝!


*****************************

「小児がん病棟での慰問演奏」
  渕上貴美子(杉並学院中学高等学校合唱部指揮者)
  『致知』2009年3月号
  特集「賜生(しせい)」より
 
(20年間の合唱指導の中で、
 特に忘れられない出来事をお聞かせください」の質問に)


 7年前、小児科の末期がん患者の病棟に
 演奏をしに行った時のことです。

 学校のある卒業生の方から

 「病院にいる子供たちに、あなたたちの
天使の歌声を聴かせてあげてもらえないか」

 とお話があり、私も「ぜひ」と言って
 受けさせていただいたんです。


 病院には全員ブレザーを着ていったのですが、
 黒っぽい服では威圧感があるからと、
 その場で上着を脱がされて、全身に消毒液をかけられました。

 寒い時期だったんですが、扉を開けると、
 物凄く暑くて、狭い部屋だったんです。
 
 目の前には、本当にこの子がもうがんなんだろうか、
 と思うような赤ちゃんから、
 放射線で髪の毛がぼさぼさになってしまっている子、
 頬全体が陥没して顔が半分ない子だとか、
 もうそれは、見ただけでも
 体に震えがくるようなひどい状態の子たちがたくさん……。


 その子たちの前で、私たちは部屋の隅っこのほうに
 へばり付くように立ちました。
 
 敷かれたホットカーペットの上には、
 お母さん方も座っていたり、
 廊下にはドクターや看護師さんの姿も見えました。
 
 私は壁の一番端に行って、指揮棒を振ったんですが、
 もう涙が止まらなくて、本当に……。


 私の目の前で、お母さんが乳飲み子をギューッと抱えながら、
 涙をポロポロ零すんですよね。
 
 あぁ、自分の子はこんなに
 大きくまで育つことができないんだ、とか、
 いろいろ思われたんじゃないかと思うんですが、
 看護師さんもドクターも皆泣いていらして、
 泣いていなかったのは、当のがんの子供たちだけで。


 私も我慢しなくちゃ、と思うんですが、
 もう悲しくて悲しくて、
 生徒たちも涙をポロポロ零しながら、
 でも必死に笑顔をつくって、一所懸命歌って。
 
 そしたら歌が終わった後に、
 髪の毛のない子や顔の陥没した子たちが

 「お姉ちゃんたち、どうして泣いてるの」
 
 って言うんです。看護師さんが
 
 「あなたたちがあんまり一所懸命聴いてくれるから、
  お姉ちゃんたち感動しちゃったのよ。楽しかった?」
  
 と尋ねました。するとその中の一人が
 
 「凄く楽しかったぁ。
  大きくなったらお姉ちゃんと一緒に歌いたい」
  
 って、もう私、本当に胸が張り裂けそうで…。
 
 
 その時に、心から、あぁ歌は素晴らしいと思いましたし、
 いま生きていて、自分のできることを一所懸命やることが、
 どんなに大切なことかを凄く強く感じました。


 その帰りの電車の中で、ある生徒が
 
 
 「先生、あんなに皆を悲しませちゃって、
  私たちが合唱をしに行ったことは
  本当によかったんだろうか?」
  
 と言ったんです。何しろあの場にいた大人たちが
 あまりにも涙を流していましたから。

 その時に私は
 
 
 「うん、よかったんだよ。
  たぶん、お母さんも、病院の先生も、看護師さんも、
  皆悲しくて、もう泣きたくて、泣きたくてね。
  
  でも、いま一所懸命生きている子たちの前で
  泣けないでしょ? 
  
  それを、あなたたちの歌で感動したふりをしてね、
  思いっきり泣くことができたからよかったのよ。
  
  明日からまた笑顔で頑張っていけると思う」
  
 と言ったんです。すると生徒が
 
 
 「そうか。じゃあ私たちの歌で少しは楽になったのかな?」
 
 
 と言うから
 
 
 「そうよ。そして歌を聴いていた子たちが
 『お姉ちゃんと一緒に歌いたい』と言った。
  生きよう、って。
 
  いや、生きるということは分からないかもしれないし、
  もしかしたら一か月後には命がない体かもしれないけれど、
  少しでも希望を持って生きようとしたということは、
  素晴らしいことだから」
  
 
 と話して、お互いに感動しながら
 学校に戻ったことがあるんです。


 私は、生きているということは、
 自分一人がここに存在して、
 ただ呼吸をしているのではなく、
 いろいろな人と出会って、怒ったり、笑ったり、悲しんだり、
 苦しみを分かち合ったりして、
 相手の心や周りにいる人たちの心を、
 ちゃんと感じられることではないかと思うんです。


 私が慰問演奏に行った時に、
 「いまを大切に生きなければ」と強く思ったのは、
 幼くして亡くなってしまう子たちもいるんだから
 頑張って生きよう、という思いではなくて、
 あの時、あの部屋の中で、
 それぞれの人の心がうごめいていたんですね。

 無邪気に喜んでいる子供や、
 日頃泣けない家族の人たち……、
 そういう、たくさんの思いが
 満ち溢れている中に入ったから、
 あぁ、ちゃんと生きていかなくちゃ、
 神様から与えられたこの命を、
 大切にしなくちゃいけないと感じたのだと思うんです。


 谷川俊太郎さんの詩に
 
 
 「生きているということ
 
  いま生きているということ
 
  泣けるということ
 
  笑えるということ
 
  怒れるということ」
 
  
 という言葉がありますが、本当にそんな思いですね。
 
 そうやって、いろいろな人の思いを感じられることで、
 人間は生きている価値が生まれてくるものだと思います。

2011年3月1日火曜日

一歩上の段階へ!

2月27日の練習を通じて、トップだけでなく、
メンバーひとりひとりの音が着実に出だしたように感じる。

メンバー各人の音が出始めると、今までなかった課題も
見えだしてきた。
ドラのグリッサンドの問題がその例である。
今までは出てこなかった課題が、見えだしてきた、
メンバー各自の音が出始めると同時に。
板をこする「キュ、キュ」という音が耳触りになってきた。
もちろん、弦をこするのは問題無いのだが。
おそらく、個々人が意識をして下されば直る問題である。

これからは、個別の課題の克服というステージ(段階)に
なってくるのだろう。
これも楽しいステージである。

2011年2月28日月曜日

演奏に対する考えをまとめるツール・・・ブログ

演奏に対する考えをまとめるためのツールとして、ブログは役に立つ。
構想を文章にして明確にすることができるし、
メンバーの方々にも思いを、ブログや練習を通じて伝えることもできる。
あの時どんなことを考えていたのかということを、単語で検索もできる。
ありがたいツールである。
便利すぎるのも考えものだという向きもあるようだが、
上手に活用することによって、
コミュニケーション・ツールにもなる。
要は、活用の仕方であろう。

2011年2月27日日曜日

2月27日(日)練習!



コンマス氏は東京マラソンに参加。
3時間49分13秒で完走されたとのメールが入る。

2月27日(日)練習!

<場所>
磐手公民館 大集会室
<メンバー>
1st:6、2nd:7、dola:6、 cello:2、 guitar:14、
bass:2、指揮者:1 計38名。

<連絡事項> 
・3/27 1st・2ndパート練習
・Yさん数年振りに復帰。ギターではなく2ndで。
・古切手収集

<練習>
9:00-12:55

2部:ビギン・ザ・ビギン
   知りたくないの
   Kaw Liga
   星に願いを
   ラグタイムバンドメドレー
   峠の我が家
   マイ・ウェイ
   ユー・アー・マイ・サンシャイン・・・お客様と一緒に歌うとか

    *おそらく本番もこの順になるのだろう。


3部:アラビアの隊商
   わが心の花
   セビリアの理髪師

1部:日本の幻想
   柳川抄    
   細川ガラシャ

<所感>
2部はお客様と歌うなど、楽しい構成になりそう。
おもしろそうである。

3部のセビリアは余り走らず弾けていたと思う。
後はパワーがほしいところ。

1部は、日本の幻想を少し重点。
柳川抄のドラのグリッサンドのすれる音が気になる。
各人解決して下さるだろう。

<昼食時>
ギターのHさんの指のリハビリ状況をお伺いする。
毎日懸命のリハビリを続けておられるようである。

アンコール候補曲として、NHKの朝ドラの「てっぱん」の
テーマ曲があがる。
私は全く知らない曲。
ただ、ヒロインがソニー損保の宣伝に出ていることは知っているが。

次週は、ギターのHさんの先生である
北口先生のコンサートに行く予定である。
約1年ぶりか。
私のギターの先生である岡本一郎先生の
お弟子さんでもあった北口先生のコンサート。
今から楽しみである。

しかし、たかマンメンバーには、マンドリン以外に趣味を持つ人が多い。
コンマス氏を筆頭に、結構活躍しておられるようである。

2011年2月26日土曜日

3か月後が本番!

3か月後が本番!
そろそろ追い込みをかけよう!

2011年2月25日金曜日

27日の練習計画!

27日の練習計画!

今回の練習もritを明示し重点練習したい。
それからフレーズの変わり目の最初の音が
出るようにしていきたい。

練習順番は、本番通り。

1.日本の幻想「会津磐梯山と八木節」
2.柳川抄    
3.細川ガラシャ


ナレーターのMさんから合わせたいという
うれしいお言葉を頂いた。
3月13日に合わせたいと考えています。

2011年2月24日木曜日

ガラシャ!

またまたガラシャにこだわってみた。
なぜ、ガラシャがクリスチャンになったのか?

<玉は心のよりどころを求め、1587(天正15)年、
キリスト教の洗礼を受けた。細川ガラシャの誕生である。
悲しみに心を閉ざし、怒りっぽく無愛想だったという玉は、
明るく柔和で、辛抱強く愛らしく 「別人のようになっ
た」と修道士の書簡は伝える。
「困難に出会って人の徳は最もよく磨かれ、
美しい光彩を放つようになる」との教えで心は定まった。
1939(昭和14)年に戯曲「細川ガラシア夫人」を書いた
ヘルマン・ホイベルス神父は、序にそう記した。
玉は、輝きを取り戻し始めた。>

どんな思いであったのか、
推測でしか考えられないが、
苦労をした人の向上は、輝かしいものである。
落ち込んだ沼が深ければ深い程、
這い上がった後の輝きは大きいのだろう!

2011年2月23日水曜日

たかつきサウンズを作る上の基本理念!

Kさんが「たかつきサウンズを作る上の基本理念」を掲げておられた。


1.たかつきマンドリン倶楽部の部員相互が敬愛の念を持って、
  お互いに尊敬し合うこと。
2.音作りにおいて、全ての人が平等であること。上下関係は一切無いこと。
3.フィジカルテクニック、いわゆる技術はお互いに助け合うこと。
4.少しでも技術の向上を個人個人で努力すること。
5.指揮者はみんなの音をまとめ、曲の解釈をし、その楽曲を通じて、
  聴く人々に感動してもらうよう切磋琢磨すること。
  そして、合奏者と一体になって音作りすること。
6.コンサートマスターは、指揮者の意図を理解し、
  指揮者の考えている音作りを尊重し、それに最も近づけるよう
  合奏団全てを特に技術的にまとめること。
7.各パートリーダーは、コンサートマスターと相談をしながら
  各パートの音作りをまとめ上げること。
8.各部員にとって合奏している時が最も楽しい時間であること。


Sさんも、
「Kさんの書き込みは、実に的確に的を射ていますね。
私も同感です。いい音楽表現は良い人間関係からしか生まれません。
技術的に優れていても無味乾燥な演奏ってありますよね。
そんな音楽は面白くなく、聴く人に感動してもらうことは出来ません。
自然体でしかも感情豊かな音を目指したいですね。」
とコメントしておられた。

良いコメントである。

ちょうど、会社の経営理念を見直す事務局をしているところなので、
個人的にはかぶるところが大きい。


私も、どんどん形にしていきたい!

2011年2月22日火曜日

たかつきサウンズ!

K氏が「たかつきサウンズ」を下記策定しておられた。
良いお言葉が並んでいる・・・
私も、無意識ながら、下記を目指しているように思った。
言葉にしてメンバーで共有できたので、
イメージを統一することができて良かったと思う。
K氏には感謝します。

> 1.感情豊かな音 Soulful Sounds
> 2,温かい音 Warm Heart Sounds
> 3.美しい音 Beautiful Sounds
> 4. 団結した音 Group Sounds
> 5.自然体の音 Natural Sounds


ところで、管理人様が文字のフォントを修正されたのだろうか(^^)。

2011年2月21日月曜日

1stパート練習!

1STは13日の練習後、パート練習をされたとのこと。

「緊張感の中にもコミュニケーションが取れて良かったと思います」

良い信頼関係の上、密度の濃い練習をされたのだと思います。
ありがとうございました。

「管理人さんが書き込み楽譜を掲載していただけたので
楽譜合わせの時間を簡略出来き助かりました」

ここにもIT化の波が来ていますね。

便利になったものです。
便利なものをうまく活用し、向上していきましょう。

2011年2月20日日曜日

高槻市後援!

Aさんのおかげで、今年の定演も「高槻市後援」が頂けたとのこと。
ありがたい!

「ぶじ受けることが出来て、ことしも定演にはくがつきました。
出来ることは前向きにやろうという役員の皆さんの気持ちです。
感謝いたします。」

と掲示板にあったが、その通りだと思う。
Kさんのいう温かい和のハーモニーである。

2011年2月19日土曜日

テンポ!

ホンワカ至宝さんという方が、掲示板に投稿されていたが、

<感心したのはPとfの明らかな差。そして両手に二ツづつの
マレットを持って指の間隔をうまく調整しながら叩き、
しかも曲想に合った自然な体の動きもあり、
大いに参考にもなりました。
和音の流れや低音部と高音部の音程の開き具合が
視覚的に感じられるのも面白かった。>

明らかに意識して弾かないとできない芸当である。
曲のイメージを工夫して作っておられたのではないか
と推察する。
思い入れもたっぷり弾かれたのであろう。

<ただ惜しむらくは、どの曲も一様にテンポが遅すぎたなぁ。
以前別の場所で聴いた指揮者ナシのマンドリンアンサンブルも
そうでしたが、多分これはお互いに相手に合わそうとする
気持ちが出すぎて、慎重になり見合い状態になっていたのだと
思います。曲にもよりますが、普通はリズムセクションの楽器が
テンポを“少し早めに”リードするほうがうまくいくようです。>

指揮者なしで、アマチュアが大人数で演奏すると、大概こうなります。
誰かが速弾きを拒否すると、皆がそれに合わさざるを得なくなるから
でしょうね。
ここで誰か多少カリスマ的な方が、速弾きを突っぱねたら、
こういう傾向はなくなるのですが。

2011年2月18日金曜日

1部の練習の成果・・・

1部の練習の成果については、大きな手ごたえを感じている。
コンマス氏によると、1部は全体的に簡単とのこと。
ありがたいです。

個人的には、下記のように仕上げていきたい。
1stは、高音とフレーズの頭の音がきちんと出るようにしていきたい。
要は自信を持って弾いて頂ければと思う。
2ndは、裏のメロディーで大事な音をきちんと出るようにしていきたい。
ドラは、もっと歌うようにレガートな音にしていきたい。
チェロは、低音の響きがしっかり出るようにしていきたい。
ベースは、どっしりと安定した音が出るようにしていきたい。
ギターは、今回は聴かせどころが多いので、音がしっかり出るように
していきたい。
日本の幻想の太鼓、柳川抄の川の流れ描写、ガラシャのお琴等が、
その好例。

先日の練習からは、ritを明示し重点練習した。
次回以降も重点を置く。
それからフレーズの変わり目の最初の音が出るようにしていきたい。

2011年2月17日木曜日

パーカッション!

昨日、Tさんにパーカッションの譜面と参考用のCDを
お送りした。
演奏会も近づいてきたな・・・

2011年2月16日水曜日

井上 靖  「一座建立」!

「その場に居合わせた者が、
互いに相手を尊敬し心を合わせ、
心和んだ時間を共有する。」 (井上 靖)


良いお言葉である。
たかマンのことを言って下さっているように思える。

2011年2月15日火曜日

ギターの重点練習箇所!

ギターの重点練習シート。
ありがたい。
I-PADで電車の中でも見て勉強できる。
パート譜もPDFで見れるようにしたので、
音源を聴きながら、このシートで確認できて便利である。
中田さんに感謝します。


2011年2月14日月曜日

定演に向けて!

定演に向けて形はできてきたと思う。
後は、各パート・各人の課題の克服であろう。

2011年2月13日日曜日

2月13日(日)練習!

2月13日(日)練習!

<場所>
奥坂コミュニティセンター
<メンバー>
1st:9、2nd:4、dola:7、 cello:2、 guitar:11、
bass:2、指揮者:1 計36名。

<連絡事項> 
・1stに子連れの新人さん参加。
・午後からは1stのパート練習。
・合宿:4/16・17

<練習>
9:30-12:55

3部:アラビアの隊商
   セビリアの理髪師

2部:ビギン・ザ・ビギン、知りたくないの、Kaw Liga、
   星に願いを、マイウェイ、峠の我が家(新曲)

1部:日本の幻想
   柳川抄    
   細川ガラシャ

<所感>
やはり課題はセビリアか。
トリルの速さと長さが、全体にずれている。
2部の指揮はスムーズであったと思う。

1部はritの部分を確認した。
後は各パートの課題を確実に消していくことであろう。

子連れのお子様は割合とおとなしく
礼儀も正しかったように思える。
広島女学院中・高のマンドリンクラブ出身とのこと。
広島女学院は、おそらく日本でも5本の指に入る名門
であると思うだけに戦力として大いに期待できると思う。
大学も立命館であったとのことなので、
鈴木静一氏の曲も慣れておられるだろう。
鈴木氏の両曲も弾いたことがあるというのも、
心強い!
ただし、転勤族であるがゆえに、長くは期待できないだろう。
しかし、一時でも戦力になって頂けるのはありがたい。

<昼食時>
アンコールは、坂本冬実の「また君に恋してる」になるのかと
メンバー間で予想。
今日からギターのHさん復帰。
快復も速く、本当に良かったと思う。
久しぶりにマラカスも入る。
パーカッションのお二人とも指の手術をされての
復帰であるだけに、無事の快復をお祈りしたい。

さて、1stのパー練はいかがであったのでしょうか・・・


先程、大河ドラマ「江」を見たが、
明智光秀を中心に「江」と細川ガラシャの命運が
変わっていく様は、時代の、家長制度のひにくさを感じる。

2011年2月12日土曜日

13日の練習計画!

13日の練習計画!

全体的には良く音が出ていると思う。
乗ってしまえば、スーッと流れる曲が多いことも確か。

次回の練習からは、ritを明示し重点練習したい。
それからフレーズの変わり目の最初の音が
出るようにしていきたい。

練習順番は、本番通り。

1.日本の幻想「会津磐梯山と八木節」
2.柳川抄    
3.細川ガラシャ

2011年2月11日金曜日

合宿!

合宿の連絡があった。
今年は、4月16・17日。
もうそんな時期か・・・
身の引き締まる思いである。

2011年2月10日木曜日

子連れ入部希望者!

子連れ入部希望者が、次回の練習に来られる。
去年の8月末に高槻に引越してきたそうだ。

中学からマンドリンをはじめ、大学まで続けてきたそうで、
結婚後しばらく楽器からはなれていたそうだが、
2年前から再開したそうで、
大いに戦力になると思う。1stでお願いしたいところ。
確かにまた、転勤される可能性は高いが・・・

今も以前住んでいた名古屋の団体に所属しているそうだ・
なんと熱心な・・・
私の知っている団体かもしれないが。

ちなみに、お子さんは6歳・4歳とのこと。
たかマン皆でかわいがりましょう!

以前いたモザールでも子連れ参加はたくさんいたので、
多少は慣れている。

<まだまだ子供に手がかかる時期ではありますが、私自身の
リフレッシュも兼ね、楽器を続けられたらと思っています。>
とのこと。頼もしい!

モザールでは、子連れは普通で、
団員の誰かが休憩がてら遊んでいました。
子供同士でも結構遊ぶと思いますよ。

たかマンの練習場所には図書館もありますから、
本を借りて後ろで読んで待ってもらっても良いですよね。

奥坂コミュニティセンターは近所とのこと。
お近くの方もおられるので、皆さんで温かくお迎え
しましょう!!!!!

2011年2月9日水曜日

フルート候補者検討中・・・

賛助の十鳥さんと連絡が取れた。
フルート候補者とは、一度練習をして、
決定して下さるとのこと。
ありがたい!

2011年2月8日火曜日

またまた柳川抄の復習・・・

またまた柳川抄の復習・・・
コムラードのHPより。


「我が生い立ちの記」  (朗読) 初版
“古い時代の白壁が今も懐かしい影をうつす”

 〔1〕流れ

 私の郷里、柳川は水郷である。
自然の風物はいかにも南国的であるが、柳川を貫通する数知れぬ
掘割のにほいには、日に月にすたれゆく古い時代の白壁が、今も
なお懐かしい影をうつす。

わが町に来る旅人は、その周囲の平野に、遠く近く、銀の光を
はなつ多くの川を見るであろう。
そうして歩むにつれ、その水面に菱の葉、蓮、真菰、河骨-さまざ
まの浮藻の強烈な更紗もようを見いだすであろう。

水は清らかに流れて、すたれ果てたノスカイ屋(遊女屋)の厨
の下を流れ、洗濯女の晒布(さらし)にそそぎ、水門にせわれて
は黒いダリアの花に嘆き、酒造る水となり、汲水湯に立つ湯上り
の娘の唇を嗽(そそ)ぎ、そして夜は観音講の堤燈の灯をちらつ
かせながら、海近き沖の端の塩川におちてゆく。
静かな流れは、こうして昔のままの白壁に寂しく光り、芝居見物
の水路となり、舵を奔らせ、変化多き少年の秘密を育む。

水郷、柳川はささながら水に浮いた“灰色の柩”である。

柳川は太古の昔、潮が満ち引きする潟だったと言われています。
筑後川や矢部川などが運び込む土砂が、
有明海に広大な干潟をつくり、その干潟に堤防を築き、干拓
開墾してできた街です。
有明海は干満の差が激しい海で、その差は最大6メートルにもなり、
海抜0メートルが続く土地の大部分が満潮時は海面下になります。
古くから水不足に悩まされてき
た人々は、矢部川やその支流に井堰をつくり、
掘割を通して水を引き込み、農業用水
や生活用水を確保してきました。
柳川市域での掘割の総延長は実に470キロ。
しだれ柳が緑の影を落とし、水面には
花菖蒲が咲き乱れる掘割(クリーク)。 
そして城内の静かな家並みを下るドンコ船。
今でこそ年間約100万の人々が訪れる観光名所として
脚光を浴びる掘割ですが、こう
した生活の歴史を育んできた用水でもあるのです。
ンコ船にて掘割を下る (70分大人¥1,500)
掘割に沿って遊歩道・白秋道路がある
往路は遊歩道を歩き 復路はドンコ船がお勧め


〔2〕おそれ

 “あの眼の光るは、星か蛍か鵜の鳥か
  蛍ならば お手にとろ 
  お星さまなら拝みましょ…”

幼い時、私はよくこういう子守歌をきかされた。
そして、恐ろしい夜におびえながら、乳母の背から、
首の赤い蛍を掴んだ時、どんなに好奇の心に顫えたであろう。

少年になっても私は夜が怖かった。
何故にこんな明るい昼のあとから“夜”という厭な恐ろしいもの
が来るのか? 私は乳母の背に抱きついて慓るえたものだ。
真夜中の時計の音は、また妄想に痺れた。
トンカ・ジョーンの小さな頭脳に生臟(いきぎも)とりの血のつ
いた足音を刻みつけながら、時々深い奈落に引き込むようにボー
ンと時をうつ…
 

 “あの眼の光るは、星か蛍か鵜の鳥か
  蛍ならば お手にとろ 
  お星さまなら拝みましょ…”


関ヶ原の戦い以降柳川を治めた田中吉政
は掘割の整備・天守閣の築造・道路の新
設・整備や有明海岸の埋め立てなど土木
事業に数多くの業績を残しました。


〔3〕水落ち

 九月…祇園会が終わり秋もふけて、線香を乾かす家、からし油
をしぼる店、ローソクを造る娘、提燈の絵をかく義太夫の師匠---
すべてがしんみりとした物の哀れを知る十月の末には、まず秋祭
りの準備としで柳川の掘割は、水を干され、魚は掬われ、なまぐ
さい水草もどぶ泥もきれいに浚い尽くされる。

 この“水落ち”の楽しさは町の子供の何にも代え難い季節の華
である。そうしてこのひと騒ぎのあとから、また久しぶりに奇麗
な水は廃市に注入り、楽しい祭りの前ぶれが奇妙な道化師の姿で
ラッパをならし、拍子木を打ち、町から町へとめぐり歩く。

 祭りのあとの寂しさは、また格別である。
野は火のような櫨の紅葉に百舌がただ啼きしきるばかり、何処か
らとなく漂流うて来た傀儡師の背で生白い人形の首が、眉を振る
物凄さも何時人々の記憶からかき消えて“灰色の柩”柳川に寂し
い、寂しい冬が来る。


現在の“水落ち”

TAXIの運転手さんによると現在の水落ちは2月に行われ 
濁った水は有明海に流される
市民が掃除をするわけではなくもっぱらバキュームに
頼っていると言う 
その期間は観光はクローズし 川開きは3月1日
その為に冬から春にかけては掘割の水は綺麗だそうだ


明治18年、柳川・沖端に誕生した北原白秋の生家は、
代々屋号を「油屋」とか「古問屋」と称する海産物問屋
でしたが、白秋の父の代になると、柳川地方でも一、二を
あらそう酒造業を営むようになりました。当時の北
原家屋敷は、一町三反という広大な敷地を有し、
母屋との間には、流れのきれいな掘割りがありました。
しかしそんな生家も、明治34年の沖端大火災で大半を焼失。 
母屋と一つの穀倉だけが難を逃れ、昭和44年11月に
復元され、平成元年2月には母屋に附属していた
隠居部屋も復元されました。 現在、この生家内には白秋の
著書や遺品、さらには柳川の風物にゆかりの深い
資料が数多く展示されています。この生家は、
記念的な建物であると同時に、柳川地方の明治時代の
商家の形態を知る上で、重要な建物といえます。
(文章引用:北原白秋記念館)

2011年2月7日月曜日

柳川抄の復習!

柳川抄に関する復習も・・・
以下は鈴木氏の文書。


“私の近作について” 東京都 鈴木 静一

音楽詩「柳川抄」  (北原白秋の生い立ちの記による)
      1969年10月

大正から昭和中期にかけ活躍した北原白秋の詩は、
思春から青春に移ろうとする頃の私を異常
に刺戟し、音楽と詩の両道の選択に迷わされた想い出がある。
その後、招かれて入社した日本ビクターで、
白秋の詩によるゴンシャン~マンジュンャゲなどの録音
(作曲山田耕作氏)で北原氏に会い“灰色の柩“と
彼自身が呼ぶ、柳川のたたずまいに就いていろいろお話
を聞いた-その頃から私は柳川に制作欲を感じていたが
1968年、九大MCに招かれ福岡を訪れた折、一日柳川に遊
び、今日もなお、白秋の頃の面影を残す、
晩秋の柳川の寂しさと深い詩情に溢れる、
流れに、街に、また子供たちに云い知れぬ懐しさを抱き、
この一編を書き上げたのである。
最近の私は編成の増幅に駆りたてられがちであるが、
この曲は純マンドリン楽とし、ただ“水落ち“の
登りの叙景に一本のフリュートを加えた。 
さらに白秋の「我が生いたちの記」による
散文詩の朗読を音楽の一部として組み入れたものである。

昭和46年(1971年)6月30日発行 
GMO機関紙「フレット」第14巻・第2号(通号第58号)

2011年2月6日日曜日

細川ガラシャ!

細川ガラシャについて、コムラードのブログから再復習。


愛の旅人 “ガラシャ”

信長・秀吉・家康が登場する歴史物に、エピソードの脇役
として登場することの多いガラシャ。日本の歴史
の大きなうねりの中に、その名を残す数少ない女性
・・・ ガラシャ。
NHK大河ドラマ「功名が辻」においても、丹後の国
味土野の山中で幽閉生活を送っている。
そのやさき、2006年6月24日(土)の朝日新聞朝刊
Be on Saturday 「愛の旅人」にて細川ガラシャ夫人が
取り上げられ京都・味土野と大阪・玉造が紹介された。


(引用:朝日新聞)
< 細川ガラシャと忠興 >

京都・富津から、天橋立をつたうようにして対岸へ渡り、
丹後半島の山中に車で1時間余り分け入る。 住宅や田畑
といった人の気配が次第に間遠になり、緑ばかりが濃く
なっでいく。
京丹後市弥栄町の味土野地区。谷の奥の細い道を登り
きったところに「女城跡」(めじろ)はあった。
1582(天正10)年夏から約2年間、宮津城主細川忠興の妻・玉
が隠れ住んだところだ。小さな丘の上にこぎれいな空間
が広がり、「細川忠興夫人隠棲地」の碑が立つ。
ここに小さな館があったらしい。
昭和初期の味土野には約40戸が点在したというが、
現在はわずか3戸。豪雪などで住民が次々と去り、分校
も閉鎖された。夏の涼風とそばが好評だった分校跡の
「ガラシャ荘」も、閉鎖されて久しいという。
本能寺に織田信長を討った玉の父・明智光秀は、
10日余りののち、謀反人として非業の最期を遂げた。
「謀反人の娘」となった妻を、忠興は家臣と侍女を
つけて味土野へ送った。

 政略結婚だらけの戦国時代。実家が敵方となった嫁は
実家に帰されたり、殺されたりするのが常だった。
まして謀反人の家族は根絶やしが「常識」。
しかし、忠興は玉を隠した。
女城と向き合う斜面には護衛のための男城を設け、
織田方・明智方からの襲撃に備えた。 
「この美しい宝は誰にも渡さぬ」。楊貴妃桜のように
あでやかな美貌、とうたわれた妻への、
忠興の並々ならぬ思いを感じる。
琵琶湖畔の坂本城(大津市)、堀のある勝龍寺
城(京都府長岡京市)、天橋立を望む海辺にある宮津城-広々
とした水のある風景の中で暮らしてきた20歳の玉は、
ここでの暮らしをどう受け止めただろうか。                            
ガラシャが幽閉されていた味土野には、深い山中に
石碑だけが立っていた(京都府京丹後市)

2年後、天下人となった父の敵羽柴(豊臣)秀吉に
許された玉は、大坂城にほど近い忠興の屋敷に入り、
夫や2人の子どもと再会した。
だが、ともに教養が高く、激しさをもち、仲が良かった
という夫婦仲は、様変わりしていた。
忠興が留守中に側室を置いたのも一因だったが、
玉自身も大きく変わっていたのだろう。
玉は2児を次々と産んだが、「籠の鳥」でもあった。
独占欲が強い上、玉の美しさが女好きの秀吉の目に触れ
ることを恐れた忠興は、外出を禁じた。

玉は心のよりどころを求め、1587(天正15)年、
キリスト教の洗礼を受けた。細川ガラシャの誕生である。
悲しみに心を閉ざし、怒りっぽく無愛想だったという玉は、
明るく柔和で、辛抱強く愛らしく 「別人のようになっ
た」と修道士の書簡は伝える。
「困難に出会って人の徳は最もよく磨かれ、
美しい光彩を放つようになる」との教えで心は定まった。
1939(昭和14)年に戯曲「細川ガラシア夫人」を書いた
ヘルマン・ホイベルス神父は、序にそう記した。
玉は、輝きを取り戻し始めた。


< 花散らし乱世生き抜く >
大坂城の南、玉造(大阪市中央区)の細川屋敷で、
ガラシャ(玉)は、16年間ほとんど外に出ることなく、
キリスト教を学び、洗礼を受けた。その敷地の一部に、
白壁のカトリック玉造教会が立つ。入り口にはガラシャ像
がたたずむ。大聖堂の正面に掲げられた壁画には
聖母マリアのそばにガラシャが描かれ、炎に包まれた中
で最期の祈りをささげる姿の壁画もある。
細川邸跡を意識することなく建てられたが、
1963年に建て替えた際に、親しまれる教会にしようと飾られた。
神父の神林宏和さん(68)は「地元ではガラシャヘの関心が
強いのです。数年前までは顕彰祭があって司祭
が招かれていましたよ」と説明する。

しかし長い間、カトリック教会内でのガラシャの立場は微妙だった。
教えが禁じている自殺をしたと考えられ
ていたからだ。「江戸幕府のキリシタン迫害で、
記録が少なかったために誤解されたんですね」と神林さんは
言う。ローマ法王庁の古文書館に残る、
和紙に細筆でつづった宣教師たちの手紙などを調べてガラシャの
実像に迫り、自殺ではないという観点で戯曲を書いたのが、
上智大の学長だったヘルマン・ホイベルス神父
だった。
ガラシャ隠棲の地・味土野の発見にも一役買ったホイベルス神父は、
それまで 「自害して夫と家族を守っ
た貞女の鑑」とだけ伝えられていたガラシャ像に、血を通わせた。
教会から大坂城へ向う道路脇に、ガラシャ
も使ったとされる井戸「越中井」があり、
徳富蘇峰の筆によるガラシャ辞世の歌が刻まれた碑が立つ。
  
『 散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ 』
                                                 ガラシャ最期の地、細川屋敷跡に立つカトリック玉造教会の
大聖堂で、日曜のミサが
行われていた。堂内にはガラシャの姿がそこここに(大阪市中央区)
その「時」を決めたのは、夫忠興だった。
忠興は常々、屋敷を離れる時は 「万一妻に危険が及んだら、妻
を殺して切腹せよ」と家臣に言い置いた。美しい妻を誰にも渡す
まいとしたのだろう。
ガラシャもそのことを知った上で、武将の妻として、
キリシタンとしてふさわしく死ぬにはどうしたらよいかと、神
父に手紙で相談していた。徳川家康率いる東軍と、
石田三成率いる西軍が激突した関ケ原合戦の前夜、忠
興が徳川軍に加わるために出陣した時も、そうだった。
 家康を背後から攻めようとした三成は、
徳川軍の混乱を狙い留守宅の妻を人質にしようと、まず忠興の屋
敷を囲んだ。ガラシャは子どもや侍女を逃がし、
家臣の刃を受けて死去。屋敷には火が放たれ、焼け落ちた。
1600(慶長5)年7月17日、38歳だった。
スペイン出身のキリシタン史研究者で、
日本二十六聖人記念館(長崎市)の前館長、結城了悟さん(83)は
「彼女はキリシタンとして死にましたが、それは信仰ではなく、
夫のための死でした」と話す。ガラシャの死に
よって他家から人質を取れなくなったばかりか、
人心まで失った三成は大敗。忠興は家康の信用を勝ち得た。

忠興は、宣教師ルイス・フロイスの書簡に「生来非常に乱暴で、
特に嫉妬深く、邸の中で厳格」と書かれ、
ガラシャや侍女たちの信仰を邪魔する悪役として登場することが多い。
「でも、宣教師の手紙には、ガラシャは初め、忠興を通して、
高山右近が語ったキリスト教の教えに触れたと
あるのも確かです」と結城さんは言う。秀吉のキリシタン弾圧が
緩むと、邸内に祈りの場を設けるなど、ガラシ
ャの信仰に理解を示すこともあった。
 細川家には、ふたりの愛の遺品がわずかながらも残る。
ガラシャが仕立てたという忠興の上着、その中に
入っていたガラシャ手描きの墨絵をあしらった袱紗(ふくさ)、
忠興が亡きガラシャのために作らせたとみられ
る南蛮鐘・…。現当主の元首相、細川護煕さん(68)は
「幕府の手前、足跡を意識的に消したということもある
のか、ガラシャの史料はわずかですが、ふたりは大変信頼し
あっていたと思いますよ」と話す。

忠興はガラシャの死の1年後、大坂でキリスト教式の葬儀を営み、
涙を流した。 新領地となった小倉(北九
州市)にも、ガラシャと文通していたグレゴリオ・デ・セスペデス神父を
同行させた。教会を建て、ガラシャの命
日にはミサをあげてもらうなど、妻をしのび、
キリスト教のよき理解者としてふるまった。
しかし、1610(慶長15)年ごろ幕府のキリシタン弾圧が強まると一変。
セスペデス神父の急死や禁教令を機に
迫害に転じた。
時流を読み、したたかに乱世を泳ぎ切った忠興は、
押しも押されもせぬ大大名となり、83歳で死んだ。
ふたりの墓は、熊本と京都の寺で、寄り添うように立っている。

2011年2月5日土曜日

細川ガラシャの復習!

今日から、細川ガラシャのことを復習しておきたい。
次回の練習のために・・・


劇楽 「細川ガラシャ」 鈴木 静一 作曲

本曲は織田・豊臣時代の動乱たえまなき世に明智光秀の
三女に生れ、信長の媒酌で細川忠輿に嫁したが、
父光秀の謀反に端を発した波乱多き37年の生涯を送り、
最後は秀吉亡き後の豊臣方の策謀に抗して、
自らの決意で侍臣の刃先を胸もとに受けて
火焔の中に身を投じ、徳川幕府300年間 熊本城主細川と
家系を永続させる礎となった麗しき烈婦細川ガラシャを描い
た譚詩曲である。
作曲者は昭和10年頃、故長田幹彦氏が脚色演出した舞踏劇
のために作曲したが勿論その原譜はなく、
僅かにかすかな記憶に残るガラシャのテーマだけを
採り上げて動乱や聖歌のイメージ等を
新たに作曲、全く別個の構想で劇音楽風に書き下したも
のである。本曲の大略は次のように解釈される。

序奏部Adagio・・・・・冒頭の短い悲痛な楽句の強奏はガラシャの悲運を
暗示する
Allegro・・・・・戦乱の動乱相継ぐ当時の不安な世代を表現する
Andante・・・・・宗教的な曲調はその頃信長・秀吉等に容認されたキリシタンの
伸展を語る
本能寺の変Allegro ma non troppo・・・・・ガラシャ苦悩の発端となった父光秀の
叛乱
Adagio Pesante・・・・・戦乱の悲哀
優美なガラシャElegante・・・・・琴の音を偲ばせるギターのリズムにフリュートの
ソロを前駝としてガラシャのテーマが導かれる、
高度の教養と端麗な容姿のガラシャが描写されるが、
悲運の哀愁もただよう
不安Poco Piu Mosso e stretto・・・・・低音部の不安な動きが世相の不安と
ガラシャの苦悩を描く
聖歌Adagio・・・・・心の不安をキリシタン宗門への信仰に求める。
しかしこの希望の光も石田三成等の圧迫の手に覆われる 
豊臣方の襲撃Presto・・・・・人質として大阪城内への移動に応じないガラシャに
討手の軍勢が向けられる。会津討伐の留守をあずかる
ガラシャは夫の命に従って、実名を死守する決意を定める
ガラシャの死Lento Espressiro・・・・・自殺厳禁のキリシタン宗の掟により、
侍臣小笠原小斉の刃先を受けて死す
                  
(1970.12.19~20 第4回全日本学生マンドリン連盟合同演奏会の
プログラムより)

2011年2月4日金曜日

ナレーション!

ナレーションの練習の感想を書いていなかった。
そもそも柳川抄は、Aさんの推薦曲でもあった。
朱雀門等のナレーション入り曲を模索したが、
10分程度の曲は少なかった。

柳川抄に決まった後、Aさんからナレーター・Mさんを紹介して頂いた。
娘さんとマンションの同じ号棟の方で、
学校の先生や司会・ナレーション、はたまたマンドリンを
やっておられた方ということであった。
話を持ちかけられ、自ら立候補されたということで秋にお会いした。
Aさんと3人でお話ししたが、半分漫才を聞いているような
楽しいひと時であった。
基本的に、仕事でも自ら立候補する部下に止めておけとは
言わない主義なので、
一度ナレーションを聞かせて頂くことにした。

先日演奏と合わせてみた。
ご自分なりに工夫して読んでおられたように思われた。
北原白秋が男性なので、男性ナレーターが良いという意見も
聞いたが、
大抵の楽団の男性ナレーターは棒読みか、堅過ぎる嫌いがある。
ナレーターのMさんにお願いすると、柔らかさは出ていた。
また、感情も出ていた。
この曲自体、少し暗めなので、落ち着いた雰囲気も
ほしいところである。
若い明るい青年の声では難しい。
また、コギャルでもダメである。
かと言って、暗いだけでもダメで、
お祭りのにぎやかさもほしい。

いろいろと考えて、Mさんで良いかと思っている。

ただ、男性がやろうと、女性がやろうと、
詩の内容が難しい。
柳川特有の言葉もある。
トンカジョーン(=子供)、
人形師=傀儡子=くぐつし、
ノスカイ屋=遊女屋 など。
しゃべるだけではわかりにくい言葉である。
パンフレットに解説文を入れないといけないかもしれない。

しかし、雰囲気だけでも伝わるので、
わざわざ解説文は不要かもしれない。
ナレーションとマンドリン音楽で十分聴かせるということで!


Mさんのお名前は、私の直属の部下と同姓である。
やりやすいのか、やりにくいのか・・・

2011年2月3日木曜日

木管賛助・十鳥(じゅうとり)博幸さん・・・

木管賛助予定の方は、
オーボエの十鳥(じゅうとり)博幸さんという。
十鳥さんの話が、あるブログに出ていた。
高槻ゆかりの方のようでありがたい!

以下はとあるブログから・・・

http://mecd.jp/?pid=3865149

♪店長“オタ丸”のコメント♪
オーボエと聴くとお堅いクラシックなサウンドをイメージしちゃいますが、
十鳥博幸ワールドはポップな要素やジャジーな要素がミックスされた
超聴きやすい楽曲ばかり!
オーボエの表現はジャンルを超えて新しい世界に運んでいってくれます!
おすすめ!

<バイオグラフィー>
12歳よりオーボエを始める。
2000年よりポップス・ジャズ・フュージョンのオーボエ演奏者として活動。
近年ではアカペラによるブラインドシネマコンサートや琴とのジョイント演奏。
日本の四季を独自の世界でアレンジ表現するなどアイデアに富んだ演奏で好評を得る。
また、自身のオリジナルCDをこれまで3枚発表するなど活動は多岐にわたる。
2006年高槻音楽コンクール奨励賞受賞

2011年2月2日水曜日

共有ファイルの充実!

「1stパート練習用楽譜」
投稿者:コンマス代理投稿管理人
投稿日:2011年 2月 1日(火)17時02分4秒

<裏HPに貼り付けました。1stパート練習用楽譜です。>

と掲示板に書いてあったので、仕事の休憩がてら、共有ファイルにも
1stパート練習用楽譜をアップしてみた。
実は先週から共有ファイルを少しずつ整理していた。
さらに充実させていきたいと考えている。

共有ファイルは下記の通り。
「サインイン」というところから入ることができます。

http://www.evernote.com/Home.action?__fp=koIGjxmiiW03yWPvuidLz-TPR6I9Jhx8&username=heroseven&rememberMe=true&login=Sign+in&login=true&_sourcePage=H7w8BBLYncLiMUD9T65RG9ZCS8k3ZqiOcvMVtI39TuE%3D&targetUrl=

ユーザーネーム:heroseven
パスワード:takaman


基本的には英語記載しかない。
早く日本法人か何かできてほしいところだが。

2011年2月1日火曜日

うまくまとめる!

コンマス氏に、「短い練習時間でうまくまとめているね。」と
お褒めのお言葉を頂いた。
大変光栄である。気恥ずかしいが。
普段の仕事の癖が出ているのかもしれない、
効率化や見える化やら
リーダーの方針説明の重要性など唱えているので・・・

2011年1月31日月曜日

譜面をスキャンしてみた・・・




ビジネスの世界では有名なスキャナーScanSnap S1500をゲット。
1分間で50枚、それも両面読み取れるらしい。
この速さはありがたい!
名刺をスキャンしたら、一瞬でワープロ文字に変換される!
年賀状作成も簡単にできる、、、すごい!!
譜面をスキャンしてみた・・・

i-padでスコアや譜面が読める。
まるで本棚のような画面で管理もできる・・・
ありがたい・・・

evernoteに入れてあるので、どこででも見れる。

練習時もスコア+譜面無しで、
i-padだけあれば良いことになる・・・
奏者皆がそんなことをする時代も来るのだろうか???

ちなみに、最近は本を大型カッターで切りとってPDFにして
パソコンや今流行りのソニーのリーダー等で読むことが流行り出している。
それを「(電子書籍の)自炊」と言うそうだが・・・

2011年1月30日日曜日

「柳川抄」

「柳川抄」の正式名称を調べてみた。

音楽詩「柳川抄」
 北原白秋“わが生立ち”の記より

             鈴木 静一

が正式名称。   

2011年1月29日土曜日

同志社大学マンドリンクラブ演奏会!

ネット検索をしていたら、

同志社大学マンドリンクラブ演奏会 第158回 定期演奏会
日時:2011年 5月28日(土)
開演(予定) 18:30
於 高槻現代劇場中ホール

とあった。
我々の1週間後に同じ場所ではないか!!

2011年1月28日金曜日

ギターのHさんの指の手術成功!

ギターのHさんから、指の手術が成功したメールを頂く。
本当に良かったです。
でも、あまり無理はされませんように。
マラカスは参加頂けるかな・・・

2011年1月27日木曜日

トイレの神様の歌詞

トイレの神様の詞が良いねという声を聞くので、
一度全部読んでみた。
確かに良い。
定演のアンコールになる可能性も高いのか???


作詞:植村花菜・山田ひろし 作曲:植村花菜 編曲:寺岡呼人

小3の頃からなぜだか
おばあちゃんと暮らしてた
実家の隣だったけど
おばあちゃんと暮らしてた

毎日お手伝いをして
五目並べもした
でもトイレ掃除だけ苦手な私に
おばあちゃんがこう言った

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
 
 
その日から私はトイレを
ピカピカにし始めた
べっぴんさんに絶対なりたくて
毎日磨いてた

買い物に出かけた時には 二人で鴨なんば食べた
新喜劇録画し損ねたおばあちゃんを
泣いて責めたりもした

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
 
 
少し大人になった私は おばあちゃんとぶつかった
家族ともうまくやれなくて 居場所がなくなった

休みの日も家に帰らず 彼氏と遊んだりした
五目並べも鴨なんばも 二人の間から消えてった

どうしてだろう 人は人を傷付け
大切なものをなくしてく
いつも味方をしてくれてた おばあちゃん残して
ひとりきり 家離れた
 
 
上京して2年が過ぎて
おばあちゃんが入院した
痩せて 細くなってしまった
おばあちゃんに会いに行った

「おばあちゃん、ただいまー!」ってわざと
昔みたいに言ってみたけど ちょっと話しただけだったのに
「もう帰りー。」って 病室を出された
 
 
次の日の朝  おばあちゃんは
静かに眠りについた

まるで まるで 私が来るのを
待っていてくれたように

ちゃんと育ててくれたのに 恩返しもしてないのに
いい孫じゃなかったのに
こんな私を待っててくれたんやね
 
 
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
おばあちゃんがくれた言葉は 今日の私を
べっぴんさんにしてくれてるかな

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
 
 
気立ての良いお嫁さんになるのが
夢だった私は
今日もせっせとトイレを ピーカピカにする

おばあちゃん
おばあちゃん ありがとう
おばあちゃん
ホンマに
ありがとう

2011年1月26日水曜日

オーボエ奏者決定、フルート奏者探し!

木管賛助の方とようやく連絡が取れました。
オーボエのプロのような方です。
フルートの方も探して頂けるそうです。
また、ご連絡下さるそうです。
高槻音楽家協会の国久会長、岡田さんには本当に感謝致します。
まずは取り急ぎお礼まで。

2011年1月25日火曜日

ベースは賛助なし!

ベースに山下さんがコンバートされたので、
山本さんには正式にお断りし、先程了承のメールが来ました。
また、先程お電話でも丁重にお礼方々、
お断りしました。

2年連続ベースで賛助して下さった
山本さんの腕を思えば、ぜひ賛助して頂きたいところではあったが・・・
まあ、高木さんと山下さんがおられるので問題ないか。

たかマンベースの自立の時が来ましたね。
お互いにがんばりましょう!

2011年1月24日月曜日

定演準備・・・

樋口さんが手術をされる。
マラカスをどうしようか。
いざとなればパーカッションの方にお願いするが、
できれば樋口さんにお願いしたい。

ベースの山本さんの賛助はお断りする。
過去2回ご尽力頂いたことには感謝!

四方指揮者にパーカス写譜依頼をする。

いろいろと準備万端!

2011年1月23日日曜日

1月23日(日)練習!

1月23日(日)練習!

<場所>
今城塚公民館 大集会室
<メンバー>
1st:6、2nd:5、dola:6、 cello:4、 guitar:12、
bass:2、指揮者:1 計36名。
コンマス氏は高槻マラソンにご参加。

<連絡事項> 
・今日の1部の練習ではナレーター・村橋さん参加。
・古切手収集のお願い
・午後からはギターのパート練習。

<練習>
9:00-12:55

3部:アラビアの隊商
   わが心の花
   セビリアの理髪師

2部:ビギン・ザ・ビギン、知りたくないの、Kaw Liga、
   マイウェイ、星に願いを、風と共に去りぬ、
   ラグタイムバンド・メドレー

1部:柳川抄    
   細川ガラシャ

<所感>
柳川抄にナレーションを付ける。
事前の打ち合わせはまずまず。
実際にやってみるとナレーションの長さが
予想より違っていたので、その場で修正。
この結果を踏まえて、再検討することにしたい。

ナレーターの方と入ろうとしたお店のメニューが
これだった。すごい偶然!
それとナレーターの方から頂いたガラシャのお菓子。


2011年1月22日土曜日

柳川抄の1stの譜面訂正3!

柳川抄の1stの譜面の訂正箇所がまた見つかりました。
誠に申し訳ありません。
ご指摘頂きました皆様、ありがとうございました。
1stの皆様、お手数ですが下記訂正下さいますよう
よろしくお願いします。

> 「流れ」の35ド→シに訂正ちがいますか?

  「シ」ですね。

> 「水落ち」の45小節目の4つの16分音符音おかしい。

   ソレシファではなく、「ソシソファ」ですね。


以上、よろしくお願いします。
まずは取り急ぎお詫びまで。

木管賛助決まりそう!

木管賛助の方が決まりそうである。
プロっぽい方のようだ・・・

柳川抄のナレーション

明日の柳川抄の練習では、ナレーターの方に入って頂きます。
ナレーションは、こんな感じです。

原題:「我が生い立ちの記」

“古い時代の白壁が
 今も懐かしい影をうつす”

 〔1〕流れ

 私の郷里、柳川は水郷である。
自然の風物はいかにも南国的であるが、柳川を貫通する数知れぬ
掘割のにほいには、日に月にすたれゆく古い時代の白壁が、今も
なお懐かしい影をうつす。

わが町に来る旅人は、その周囲の平野に、遠く近く、銀の光を
はなつ多くの川を見るであろう。
そうして歩むにつれ、その水面に菱の葉、蓮、真菰、河骨-さまざ
まの浮藻の強烈な更紗もようを見いだすであろう。

水は清らかに流れて、すたれ果てたノスカイ屋(遊女屋)の厨
の下を流れ、洗濯女の晒布(さらし)にそそぎ、水門にせわれて
は黒いダリアの花に嘆き、酒造る水となり、汲水湯に立つ湯上り
の娘の唇を嗽(そそ)ぎ、そして夜は観音講の堤燈の灯をちらつ
かせながら、海近き沖の端の塩川におちてゆく。
静かな流れは、こうして昔のままの白壁に寂しく光り、芝居見物
の水路となり、舵を奔らせ、変化多き少年の秘密を育む。

水郷、柳川はささながら水に浮いた“灰色の柩”である。


〔2〕おそれ

 “あの眼の光るは、星か蛍か鵜の鳥か
  蛍ならば お手にとろ 
  お星さまなら拝みましょ…”

幼い時、私はよくこういう子守歌をきかされた。
そして、恐ろしい夜におびえながら、乳母の背から、
首の赤い蛍を掴んだ時、どんなに好奇の心に顫えたであろう。

少年になっても私は夜が怖かった。
何故にこんな明るい昼のあとから“夜”という厭な恐ろしいもの
が来るのか? 私は乳母の背に抱きついて慓るえたものだ。
真夜中の時計の音は、また妄想に痺れた。
トンカ・ジョーンの小さな頭脳に生臟(いきぎも)とりの血のつ
いた足音を刻みつけながら、時々深い奈落に引き込むようにボー
ンと時をうつ…
 

 “あの眼の光るは、星か蛍か鵜の鳥か
  蛍ならば お手にとろ 
  お星さまなら拝みましょ…”


〔3〕水落ち

 九月…祇園会が終わり秋もふけて、線香を乾かす家、からし油
をしぼる店、ローソクを造る娘、提燈の絵をかく義太夫の師匠---
すべてがしんみりとした物の哀れを知る十月の末には、まず秋祭
りの準備としで柳川の掘割は、水を干され、魚は掬われ、なまぐ
さい水草もどぶ泥もきれいに浚い尽くされる。

 この“水落ち”の楽しさは町の子供の何にも代え難い季節の華
である。そうしてこのひと騒ぎのあとから、また久しぶりに奇麗
な水は廃市に注入り、楽しい祭りの前ぶれが奇妙な道化師の姿で
ラッパをならし、拍子木を打ち、町から町へとめぐり歩く。

 祭りのあとの寂しさは、また格別である。
野は火のような櫨の紅葉に百舌がただ啼きしきるばかり、何処か
らとなく漂流うて来た傀儡師の背で生白い人形の首が、眉を振る
物凄さも何時人々の記憶からかき消えて“灰色の柩”柳川に寂し
い、寂しい冬が来る。

柳川抄の1stの譜面訂正2

柳川抄の1stの譜面の訂正箇所がまた見つかりました。
誠に申し訳ありません。
ご指摘頂きました皆様、ありがとうございました。
1stの皆様、お手数ですが下記訂正下さいますよう
よろしくお願いします。

> Ⅰ流れの70小節目ミファレドラのレ→ミ

> Ⅲ水落ち59小節目三つめのソ→ファ(全部ファ)
    
    「ファ」ですね。

> 67小節目二つ目の音ド→レ

    「レ」ですね。

以上、よろしくお願いします。
まずは取り急ぎお詫びまで。

2011年1月21日金曜日

柳川抄の1stの譜面訂正!

柳川抄の音源を掲示板に載せて頂いたら、
1stの譜面の訂正箇所が見つかりました。
ご指摘頂きました皆様、ありがとうございました。
1stの皆様、お手数ですが下記訂正下さいますよう
よろしくお願いします。

> Ⅰ流れの70小節目ミファレドラのレ→ミ

   「ミ」ですね。

> Ⅱおそれの42小節目ソドレド♭ミラ→ソドレド♭ミソ(最後の音をラ→ソ)

   ソドレド♭ミ「ソ」(最後の音をラ→ソ)ですね。

> Ⅲ水落ちの41小節目最初の音レ→ミ

    「ミ」ですね。

>  112小節目二つ目の音ミ→レ

   「レ」ですね。

以上です。よろしくお願いします。
まずは取り急ぎお詫びまで。

2011年1月20日木曜日

昨晩の日経新聞!

昨晩の日経新聞にガラシャのことが載っていた。
簡単にわかりやすく書かれていると思う。
ご参考まで。

2011年1月19日水曜日

I-PADは便利である。

I-PADは便利である。
何が便利かって、PCを動かすように机の前に向かって
改まって使う必要が無い。

寝っ転がって、メールもネットも見れる。
私の場合、寝っ転がって、1部の曲を聴きながら、
柳川抄等のスコアを確認している。
例えば、ナレーターの入る位置等を確認している。

以前紹介したEVERNOTEから、他の楽譜を見ることもできる。
これは、言わば、今流行りのクラウドコンピューティングというものである。
外出先で、家のパソコンのデータを見ることができる。
すごい時代になったものだ。

音楽の世界でも、クラウドを大いに活用できるだろうと思う。
もちろん、たかマンメンバー間でも。
パート譜のやりとり、情報や音源のやりとりなど・・・

2011年1月18日火曜日

23日の練習計画!

23日の練習計画!

23日はナレーターの方が来られるので、
柳川抄を中心に練習する。
時間があれば、ガラシャも練習する。

1.柳川抄    
2.細川ガラシャ

2011年1月17日月曜日

柳川抄のナレーションの文句が見つかった!

柳川抄のナレーションの原典が見つかった!
下記の文句から抜粋されているようだ。
ありがたい!
詩の雰囲気をつかんで頂ければ良いです。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000106/files/2415.html

思ひ出 抒情小曲集
北原白秋


 この小さき抒情小曲集をそのかみのあえかなりしわが母上と、愛弟 Tinka John に贈る。
                Tonka John.
[#改丁]


わが生ひたち
   …………時は逝く、何時しらず柔らかに影してぞゆく、
       時は逝く、赤き蒸汽の船腹の過ぎゆくごとく。
                     (過ぎし日第二十)

   1

 時は過ぎた。さうして温かい苅麥(かりむぎ)のほめきに、赤い首(くび)の螢に、或は青いとんぼの眼に、黒猫の美くしい毛色に、謂れなき不可思議の愛着を寄せた私の幼年時代も何時の間にか慕はしい「思ひ出」の哀歡となつてゆく。
 捉へがたい感覺の記憶は今日もなほ私の心を苛(いら)だたしめ、恐れしめ、歎かしめ、苦しませる。この小さな抒情小曲集に歌はれた私の十五歳以前の Life はいかにも幼稚な柔順(おとな)しい、然し飾氣のない、時としては淫婦の手を恐るゝ赤い石竹の花のやうに無智であつた。さうして驚き易い私の皮膚と靈はつねに螽斯(きりぎりす)の薄い四肢のやうに新しい發見の前に喜び顫へた。兎に角私は感じた。さうして生れたまゝの水々しい五官の感觸が私にある「神秘」を傅へ、ある「懷疑」の萠芽を微かながらも泡立たせたことは事實である。さうしてまだ知らぬ人生の「秘密」を知らうとする幼年の本能は常に銀箔の光を放つ水面にかのついついと跳ねてゆく水すましの番ひにも震※(わなな)いたのである。
 尤も、私は過去追憶にのみ生(い)きんとするものではない。私はまたこの現在の生活に不滿足な爲めに美くしい過ぎし日の世界に、懷かしい靈の避難所を見出さうとする弱い心からかういふ詩作にのみ耽つてゐるのでもない。「思ひ出」は私の藝術の半面である。私は同時に「邪宗門」の象徴詩を公にし、今はまた「東京景物詩」の製作にも從ふてゐる。從てその一面をのみ觀て、輕々にその傾向なり詩風なりを速斷せらるゝほど作者に取つて苦痛なことはない。如何なる人生の姿にも矛盾はある。影の形に添ふごとく、開き盡した牡丹花のかげに昨日の薄あかりのなほ顫へてやまぬやうに、現實に執する私の心は時として一碗の査古律(ちよこれーと)に蒸し熱い郷土のにほひを嗅ぎ、幽かな※芙藍(さふらん)の凋れにある日の未練を殘す。見果てぬ夢の歎きは目に見えぬ銀の鎖の微かに過去と現在とを繼いで慄くやうに、つねに忙たゞしい生活の耳元に啜り泣く。さはいへ此集の第三章に收めた「おもひで」二十篇の追憶體は寧ろ「邪宗門」以前の詩風であつた。まだ現實の痛苦にも思ひ到らず、ただ羅漫的な氣分の、何となき追憶に耽つたひとしきりの夢に過ぎなかつた。さりながら「生の芽生」及「Tonka John の悲哀」に輯めた新作の幾十篇には幼年を幼年として、自分の感覺に抵觸し得た現實の生そのものを拙ないながらも官能的に描き出さうと欲した。從つて用ゐた語彙なり手法なりもやはり現在風にして試みたのである。畢竟自叙傳として見て欲しい一種の感覺史なり性慾史なりに外ならぬ。實際私は過去を全く今の自分から遊離したものとして追慕するよりも、充實した現在生活の根底を更に力強く印象せしめんが爲に、兎に角過去といふわが第一の烙印を自分で力ある額の上に烙きつけようと欲したのである。とはいふものゝ、私はなほこの小さな詩集の限りある紙面に於て企畫した事の十分の一も描寫し得なかつたのを悲しむ。幼ない昔は兎に角秘密多き少年時代の感情生活はまだ/″\複雜であり神經的である。私はなほ何らかの新らしい形式の上にその切ないほど怪しかつた感覺の負債が充分に償ひ得べき何らかの新らしい機會の來らんことを待つ。
「斷章」の六十一篇は「邪宗門」と同時代の小曲であつてその以後の新風ではない。それは恰度強い印象派の色彩のかげに微かなテレピン油の潤りのさまよふてゐるやうに彼の集のかげに今なほ見出されずして顫へてゐたものである。私はかの私の抒情の「歌」とゝもにこの「斷章」のやうな仄かな藝術品が「邪宗門」や「東京景物詩」やその他の異なつた象徴詩の間にも、なほ純なるわかき日の悲しみを頼りなく伴奏しつゝあつた事をせめて首肯して欲しいのである。
 私は兎に角、可憐なさうして手ごろの小さい抒情小曲集を、私のなつかしい人々の手に献げたいと思つて、なるべく自分に親しみの深い、穉い時代の「思ひ出」を茲に集めた。從て私の生ひたちなり、生れた郷土の特色なり、豫め多少は知つて戴く必要がある。

   2

 私の郷里柳河は水郷である。さうして靜かな廢市の一つである。自然の風物は如何にも南國的であるが、既に柳河の街を貫通する數知れぬ溝渠(ほりわり)のにほひには日に日に廢れゆく舊い封建時代の白壁が今なほ懷かしい影を映す。肥後路より、或は久留米路より、或は佐賀より筑後川の流を超えて、わが街に入り來る旅びとはその周圍の大平野に分岐して、遠く近く瓏銀の光を放つてゐる幾多の人工的河水を眼にするであらう。さうして歩むにつれて、その水面の隨所に、菱の葉、蓮、眞菰、河骨、或は赤褐黄緑その他樣々の浮藻の強烈な更紗模樣のなかに微かに淡紫のウオタアヒヤシンスの花を見出すであらう。水は清らかに流れて廢市に入り、廢れはてた Noskai 屋(遊女屋)の人もなき厨の下を流れ、洗濯女の白い洒布に注ぎ、水門に堰かれては、三味線の音の緩む晝すぎを小料理屋の黒いダアリヤの花に歎き、酒造る水となり、汲水(くみづ)場に立つ湯上りの素肌しなやかな肺病娘の唇を嗽ぎ、氣の弱い鵞の毛に擾され、さうして夜は觀音講のなつかしい提燈の灯をちらつかせながら、樋(ゐび)を隔てゝ海近き沖(おき)ノ端(はた)の鹹川(しほかわ)に落ちてゆく[#「落ちてゆく」は底本では「落ゆちてゆく」]、靜かな幾多の溝渠はかうして昔のまゝの白壁に寂しく光り、たまたま芝居見の水路となり、蛇を奔らせ、變化多き少年の秘密を育む。水郷柳河はさながら水に浮いた灰色の柩である。
     *
 折々の季節につれて四邊の風物も改まる。短い冬の間にも見る影もなく汚れ果てた田や畑に、刈株のみが鋤きかへされたまゝ色もなく乾き盡くし、羽に白い斑紋を持つた怪しげな高麗烏(かうげがらす)(この地方特殊の鳥)のみが廢れた寺院の屋根に鳴き叫ぶ、さうして青い股引をつけた櫨(はじ)の實採りの男が靜かに暮れゆく卵いろの梢を眺めては無言に手を動かしてゐる外には、展望の曠い平野丈に何らの見るべき變化もなく、凡てが陰鬱な光に被はれる。柳河の街の子供はかういふ時幽かなシユブタ(方言、鮠(はえ)の一種)の腹の閃めきにも話にきく生膽取(いきゞもとり)の青い眼つきを思ひ出し、海邊の黒猫はほゝけ果てた白い穗の限りもなく戰いでいる枯葦原の中に、ぢつと蹲つたまゝ、過ぎゆく冬の囁きに晝もなほ耳かたむけて死ぬるであらう。
     *
 いづれにもまして春の季節の長いといふ事はまた此地方を限りなく悲しいものに思はせる、麥がのび、見わたす限りの平野に黄ろい菜の花の毛氈が柔かな軟風に薫り初めるころ、まだ見ぬ幸を求むるためにうらわかい町の娘の一群は笈に身を窶し、哀れな巡禮の姿となって、初めて西國三十三番の札所を旅して歩く。(巡禮に出る習慣は別に宗教上の深い信仰からでもなく、單にお嫁め入りの資格としてどんな良家の娘にも必要であつた。)その留守の間にも水車は長閑かに※り、町端れの飾屋の爺は大きな鼈甲縁の眼鏡をかけて、怪しい金象眼の愁にチンカチと鎚を鳴らし、片思の薄葉鐵(ぶりき)職人はぢり/″\と赤い封蝋を溶かし、黄色い支那服の商人は生温い挨拶の言葉をかけて戸毎を覗き初める。春も半ばとなつて菜の花もちりかゝるころには街道のところどころに木蝋を平準(なら)して干す畑が蒼白く光り、さうして狐憑(きつねつき)の女が他愛もなく狂ひ出し、野の隅には粗末な蓆張りの圓天井が造られる。その芝居小屋のかげをゆく馬車の喇叭のなつかしさよ。
 さはいへ大麥の花が咲き、からしの花も實(み)となる晩春(ばんしゆん)の名殘惜しさは青くさい芥子の萼(うてな)や新らしい蠶豆(そらまめ)の香ひにいつしかとまたまぎれてゆく。
 まだ夏には早い五月の水路(すゐろ)に杉の葉の飾りを取りつけ初めた大きな三神丸(さんじんまる)の一部をふと學校がへりに發見した沖ノ端の子供の喜びは何に譬へよう。艫の方の化粧部屋は蓆(むしろ)で張られ、昔ながらの廢れかけた舟舞臺には櫻の造花を隈なくかざし、欄干の三方に垂らした御簾(みす)は彩色(さいしき)も褪せはてたものではあるが、水天宮の祭日となれば粹な町内の若い衆が紺の半被(はつぴ)に棹さゝれて、幕あひには笛や太鼓や三味線の囃子面白く、町を替ゆるたびに幕を替え、日を替ゆるたびに歌舞伎の藝題(げだい)もとり替えて、同じ水路を上下すること三日三夜、見物は皆あちらこちらの溝渠から小舟に棹さして集まり、華やかに水郷の歡を盡くして別れるものゝ、何處かに頽廢の趣が見えて祭の濟んだあとから夏の哀れは日に日に深くなる。
 この騷ぎが靜まれば柳河にはまたゆかしい螢の時季が來る。

あの眼の光るは
星か、螢か、鵜の鳥か、
螢ならばお手にとろ、
お星樣なら拜みませう…………


 穉(おさな)い時私はよくかういふ子守唄をきかされた、さうして恐ろしい夜の闇にをびえながら、乳母の背中(せなか)から手を出して例の首の赤い螢を握りしめた時私はどんなに好奇の心に顫へたであらう。實際螢は地方の名物である。馬鈴薯の花さくころ、街の小舟はまた幾つとなく矢部川の流れを溯り初める。さうして甘酸ゆい燐光の息するたびに、あをあをと眼(め)に沁(し)みる螢籠に美くしい假寢(かりね)の夢を時たまに閃めかしながら水のまにまに夜をこめて流れ下るのを習慣とするのである。
     *
 長い霖雨の間に果實(くだもの)の樹は孕み女のやうに重くしなだれ、ものゝ卵はねば/″\と瀦水(たまりみづ)のむじな藻(も)にからみつき、蛇は木にのぼり、眞菰は繁りに繁る。柳河の夏はかうして凡ての心を重く暗く腐らしたあと、池の邊(ほとり)に鬼百合の赤い閃めきを先だてゝ、※(や)くが如き暑熱を注ぎかける。
 日光の直射を恐れて羽蟻は飛びめぐり、溝渠には水涸れて惡臭を放ち、病犬は朝鮮薊の紫の刺に後退(あとしざ)りつゝ咆(ほ)え※り、蛙は蒼白い腹を仰向けて死に、泥臭い鮒のあたまは苦しさうに泡を立てはじめる。七八月の炎暑はかうして平原の到るところの街々に激しい流行病(はやりやまひ)を仲介し、日ごとに夕燒の赤い反照を浴びせかけるのである。
 この時、海に最も近い沖ノ端の漁師原(れふしばら)には男も女も半裸體のまゝ紅い西瓜をむさぼり、石炭酸の強い異臭の中に晝は寢ね、夜は病魔退散のまじなひとして廢れた街(まち)の中、或は堀(ほり)の柳のかげに BANKO(椽臺)を持ち出しては盛んに花火を揚げる。さうして朽ちかゝつた家々のランプのかげから、死に瀕(ひん)した虎列拉(コレラ)患者(くわんじや)は恐ろしさうに蒲團を匍(は)ひいだし、ただぢつと薄(うす)あかりの中(うち)に色變(か)えてゆく五色花火のしたゝりに疲れた瞳を集める。
 燒酎の不攝生に人々の胃を犯すのもこの時である。犬殺しが歩(あ)るき、巫女(みこ)が酒倉に見えるのもこの時である。さうして雨乞の思ひ思ひに白粉をつけ、紅(あか)い隈どりを凝らした假裝行列の日に日に幾隊となく續いてゆくのもこの時である。さはいへまた久留米絣をつけ新らしい手籠(てかご)を擁(かゝ)えた菱の實賣りの娘の、なつかしい「菱シヤンヨウ」の呼聲をきくのもこの時である。
     *
 九月に入つて登記所の庭に黄色い鷄頭の花が咲くやうになつてもまだ虎列拉(コレラ)は止む氣色もない。若い町の辯護士が忙(いそが)しさうに粗末な硝子戸を出入(ではい)りし、蒼白い藥種屋の娘の亂行の漸く人の噂に上るやうになれば秋はもう青い澁柿を搗く酒屋の杵の音にも新らしい匂の爽かさを忍ばせる。
 祗園會が了り秋もふけて線香を乾(かわ)かす家、からし油を搾(しぼ)る店、パラピン蝋燭を造る娘、提燈の繪を描く義太夫の師匠、ひとり飴形屋(飴形(あめがた)は飴の一種である、柳河特殊のもの)の二階に取り殘された旅役者の女房、すべてがしんみりとした氣分に物の哀れを思ひ知る十月の末には、先づ秋祭の準備として柳河のあらゆる溝渠はあらゆる市民の手に依て、一旦水門の扉を閉され、水は干(ほ)され、魚は掬(すく)はれ、腥くさい水草は取り除かれ、溝(どぶ)どろは奇麗に浚ひ盡くされる。この「水落ち」の樂しさは町の子供の何にも代へ難い季節の華である。さうしてこの一騷(さわ)ぎのあとから、また久闊(ひさし)ぶりに清らかな水は廢市に注ぎ入り、樂しい祭の前觸(まへぶれ)が、異樣な道化(どうげ)の服裝をして、喇叭を鳴らし拍子木を打ちつゝ、明日(あす)の芝居の藝題(げだい)を面白ろをかしく披露しながら町から町へと巡り歩く。
 祭は町から町へ日を異にして準備される、さうして彼我の家庭を擧げて往來しては一夕の愉快なる團欒に美くしい懇親の情を交すのである。加之、識る人も識らぬ人も醉うては無禮講の風俗をかしく、朱欒(ざぼん)の實のかげに幼兒と獨樂(こま)を囘(ま)はし、戸ごとに酒をたづねては浮かれ歩く。祭のあとの寂しさはまた格別である。野は火のやうな櫨紅葉に百舌がただ啼きしきるばかり、何處からともなく漂浪(さすら)ふて來た傀儡師(くぐつまはし)の肩の上に、生白い華魁(おいらん)の首が、カツクカツクと眉を振る物凄さも、何時の間にか人々の記憶から掻き消されるやうに消え失せて、寂しい寂しい冬が來る。

2011年1月16日日曜日

新年会!




新年会!



新年会!





新年会!





新年会!





新年会!






さて、新年会までどう時間をつぶそうかと
阪急高槻駅改札前で思案していたら、
長田さんにお声をかけて頂き、福田さん達と待ち合わせる。

河村さんのお店ということもあり、30人位の方々が参集。
2次会も26人参加。
寒さの大変厳しい一日であったが、大いに盛り上がる。

木管賛助打ち合わせの件







昨日、岡田さんと一緒に、高槻現代劇場のレストランで、
高槻市コンサート協会 国久会長と面談。
1部の曲の木管(フルート・オーボエ)賛助の方選定と
来年以降の岡田さんのステージでコーラスを入れられないか
お願いをする。
木管の譜面とガラシャの簡単な資料とCDをお渡しする。
京都芸大OBを含め検討して下さるとのこと。
少年少女コーラスは毎月、何かのコンサートがあり、
忙しそうであること、
OBOGの方がまとめやすいのではという提案を受け、
そちらでお願いしようかということになる。
OBOGと言っても、大学生前後らしいのだが。
童謡・唱歌を歌ってもらうなら、少年少女の方が
ウケルだろうが。 

12時にお会いして、12:40にお別れする。
そこから喫茶店で岡田さんと打ち合わせ。
それでも14時前。
隣の教会等を散策し、高槻駅へ。

写真は教会の高山右近。

2011年1月15日土曜日

細川ガラシャ解説記事!



細川ガラシャ解説記事を参考にお届けします。
jpegで掲載していますので、
写真と同じようにダウンロードできます。
また、拡大表示もできます。
ご参考まで。

2011年1月14日金曜日

明日は新年会+木管打ち合わせ!

明日は新年会+木管打ち合わせである。
12:00から高槻現代劇場のレストランで
木管賛助を斡旋して下さる高槻音楽界の重鎮と打ち合わせ。
その後、16:00から新年会である。
河村さんのお店で新年会は初めて(?)なので、
大いに盛り上がるのでは?

2011年1月13日木曜日

将来たかマンをしょって立つような「人財」の育成 ?

次世代経営リーダーの育成が、私の仕事の大きな課題になっている。
ふと振り返れば、たかマンでも活かせるのかなと思えた。
私より若い世代で将来たかマンをしょって立つような「人財」の育成も
考えておかなければならないのかもしれない。

まず、人のスカウトも大事だ。
高槻でマンドリンを愛する若い人の発掘も。
また、TOPへの育成・抜擢も必要だろう。

20周年のことも考えてみると・・・

2011年1月12日水曜日

柳川抄のCD・・・

柳川抄のCDをどなたかにお貸ししているのですが、
お心あたりの方はいらっしゃらないでしょうか。

15日の土曜日に、木管賛助の元締めのような方と
打ち合わせを行うのですが、柳川抄のCDが無いことに気づきました。
MDはあるのですが。。。

お心あたりの方はご一報頂きたく
何卒よろしくお願い申し上げます。


・・・ナレーター候補の方にお貸ししているように思います。
   23日の練習時に確認します。

2011年1月11日火曜日

ベースが入ると厚みが増す!

ベースが入ると厚みが増すなというのが
先日の実感である。
ありがたい!

2011年1月10日月曜日

ベースは山下さんに依頼することになるでしょう。

昨日、山下さんにベースを試して頂いたが、
音も良く出ていたし大いに期待できると思われた。
おそらく、依頼することになるでしょう。
よろしくお願いします。

2011年1月9日日曜日

1月9日(日)今年初練習!

1月9日(日)今年初練習!

<場所>
今城塚公民館 大集会室
<メンバー>
1st:6、2nd:6、dola:8、 cello:3、 guitar:8、
計31名。
河村さんお休み。腰痛だとか、お大事に。

<連絡事項> 
・1月15日新年会
・山下さんにベースを試してもらう。
 今日からベースの高木さんも復帰。

<練習>
9:00-12:40 今日は少し早めに終わる。

1部:日本の幻想
   柳川抄    
   細川ガラシャ

3部:アラビアの隊商
   わが心の花
   セビリアの理髪師

<所感>
今日の目玉はベース2台が登場したことに尽きる。
ベースが2本あると重厚感が増す。
ありがたい。
山下さんの音も良く出ていた。

1部からの練習だったので、基礎練習から始める。
基礎練習は、個人練習では練習の合間に行ってもらえれば良い。
1部は、音量の調整、難しいところの練習に重点。
1部はギターと1stの速弾きが課題となるだろう。
うまく決まれば、本番もお客様の共感を頂けるだろう。

細川ガラシャについては、今日もガラシャの特徴を
練習前にお話しした。
ベースのチューニング待ちも兼ねてだが。
詳細は明日以降お話したい。

セビリアの速弾きは今後の課題か。
しかし、音は良く出てきたと思う。


練習後の昼食では、Aさんがハイボールを3杯飲んでおられたのが、
びっくりであった。
私も真似したいところだが、いつも送って下さっている
中田弟さんに申し訳ないし・・・

びっちり練習した後のお酒は、さぞおいしいことだろう。。。
ガスト参加者は15名。

2011年1月8日土曜日

トイレの神様?

昨日も話題にした「トイレの神様」。
先日ドラマ化されていたが、会社でも結構見た人は多かった。
私も見たが、植村花菜さんの実家のある川西市の風景が
ところどころに出ていた。
結構人気のある曲のようだ。

定演のアンコールは、「トイレの神様」か?

2011年1月7日金曜日

定演のアンコールは?

気の早い話だが、今年の定演のアンコールは何になるのだろう?
この頃の流行の曲がわからない・・・

昨年ブレイクしたトイレの神様の植村花菜さんにしろ、
ゲゲゲの女房の松下奈緒さんにしろ、
なぜか川西市の出身である。
顔立ちも良く似ていると思うが。
なぜか近所の人という意識もある。。。

このあたりの2曲(トイレの神様、ありがとう<いきものがかり>)
なら多少わかるが・・・
あるいは、EXILEか、マンドリンで?

2011年1月6日木曜日

今年初の練習・・・

じっくり考えれば、いや考えなくても
9日は今年初の練習である。
特に緊張はしないが、後5ヶ月と思うと
気が引き締まる・・・

2011年1月5日水曜日

9日の練習計画!

9日の練習計画!

昨年は、曲に慣れて頂くことを目的に、
弾き込んで頂いた。
今年からは難しいところを重点練習していく。

練習順番は、本番通り。

1.日本の幻想「会津磐梯山と八木節」
2.柳川抄    
3.細川ガラシャ

次回柳川抄のナレーターの方が来られるので、
特に、柳川抄に重点を置く。

2011年1月4日火曜日

パーカッション+木管の写譜から気づいたこと・・・

パーカッション+木管の写譜を2日で終えた。
未だにフィナーレ等がうまく使えず手書きである。
いつか先生にきちんとお教え頂きたいとは思っているが。

時間はかかったが写譜から気づいたこと・・・
弦楽器の目線だけではなく、パーカッション+木管の目線から
曲のまとめ方について、気づけたことがいくつかあった。

ブレスの取り方や速度等を再考できる良い機会となった。
後、5ヶ月。
難しいところのまとめに取りかかりたい。

2011年1月3日月曜日

パーカッション+木管写譜終了!

パーカッション+木管写譜終了!
2日間6時間ずつ費やす。
受験勉強みたいな2日間だった。。。

2011年1月2日日曜日

パーカッションの写譜開始!



休みがまとめて取れるので、
パーカッション+木管の写譜をすることにした。
本日、柳川抄は完成!

写真は初詣の西宮神社、そう、えべっさん。

2011年1月1日土曜日

今年もよろしくお願いします!




2011年が始まった。
今年もよろしくお願いします。

今年の定演は第10回!
いろいろと趣向を凝らしたいと考えています!