柳川抄に関する復習も・・・
以下は鈴木氏の文書。
“私の近作について” 東京都 鈴木 静一
音楽詩「柳川抄」 (北原白秋の生い立ちの記による)
1969年10月
大正から昭和中期にかけ活躍した北原白秋の詩は、
思春から青春に移ろうとする頃の私を異常
に刺戟し、音楽と詩の両道の選択に迷わされた想い出がある。
その後、招かれて入社した日本ビクターで、
白秋の詩によるゴンシャン~マンジュンャゲなどの録音
(作曲山田耕作氏)で北原氏に会い“灰色の柩“と
彼自身が呼ぶ、柳川のたたずまいに就いていろいろお話
を聞いた-その頃から私は柳川に制作欲を感じていたが
1968年、九大MCに招かれ福岡を訪れた折、一日柳川に遊
び、今日もなお、白秋の頃の面影を残す、
晩秋の柳川の寂しさと深い詩情に溢れる、
流れに、街に、また子供たちに云い知れぬ懐しさを抱き、
この一編を書き上げたのである。
最近の私は編成の増幅に駆りたてられがちであるが、
この曲は純マンドリン楽とし、ただ“水落ち“の
登りの叙景に一本のフリュートを加えた。
さらに白秋の「我が生いたちの記」による
散文詩の朗読を音楽の一部として組み入れたものである。
昭和46年(1971年)6月30日発行
GMO機関紙「フレット」第14巻・第2号(通号第58号)
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