2009年10月4日日曜日
けいあいの里の職員の方のブログ!
初めてのけいあいの里の演奏を終え、
梅田へ出て、勝間和代さん等の新著を購入。
紀伊国屋の前で、新しいSTACIAカードの説明を聞いて、
吉本の芸人さんのカード紹介の即興芸を見て、
家へ帰ったら睡魔が襲い、おそらく8時に寝たのだと思う。
7時からケーブルテレビで見たウルトラ兄弟の張り付けに
ハラハラしながら・・・
やはり3時半に目覚め、日課と本の精読・・・
54枚の写真を整理していたら、
けいあいの里の職員の方のブログがすでにアップされていた
ことに気づく!
すごい、まめだな・・・
マンドリンのこともよく調べてある・・・
掃除や題名のない音楽会やら見ながら、
ブログの更新を更新したら時間がかかった・・・
以下は参考まで。
日時: 2009年10月03日
みなさん、こんにちは。
いつもけいあいの里便りをご覧頂き、誠にありがとうございます。
昨日は一日雨空でしたが、本日は打って変わっていいお天気でした♪
今日は『たかつきマンドリン倶楽部♪』のみなさんにお越し頂いて、とても素敵な演奏会を開いていただきました♪
とっても優しい音色です❤
懐かしい曲に、思わずポロリ…
指揮者の方に先導していただいて、みんなで合唱です♪
あまりにも聴き心地が良すぎて、ウットリzzz…❤
『たかつきマンドリン倶楽部♪』のみなさん、今日は素晴らしい演奏会に予定外のアンコールの一曲ありがとうございました♪
~マンドリンとは~
マンドリンが初めて作られたのは1620年で、イタリア、ヴェネチアのパロッキが、その頃すでにあったマンドウラを小型にして高い音が出せるように工夫し、マンドリーノと名づけたと伝えられています。
マンドリン音楽が興隆を極めたのは、19世紀~20世紀初頭にかけて、イタリアでのこと。マンドリン製作家ヴィナッチャによりマンドリンが現在の形のものに改良され、トレモロ奏法の重用があり、カルロ・ムニエル、ラファエレ・カラーチェなどがマンドリニストとして活躍しました。しかし、マンドリン音楽は第二次世界大戦の敗北でイタリア音楽界が大打撃を受けた上に、戦時中プロパガンダに利用されたという事情も重なって、最盛期の見る影もなく廃れてしまいました。
日本では、1894年四竈訥治がイギリス人から贈られたマンドリン演奏した記録が残っています。1901年には比留間賢八が留学先のイタリアからマンドリンを持って帰国し、指導者となりました。日本で本格的にマンドリンが流行するきっかけとなったのは1924年のラファエレ・カラーチェの来日でした。彼は摂政宮(のちの昭和天皇)のために御前演奏するなど、各地で演奏会を開きました。彼の来日に影響を受けたマンドリン奏
者の中に後に作曲家として活躍する鈴木静一・中野二郎・服部正がいます。
…、ということです♪
先月の敬老週間の大正琴やゴスペルに続いての音楽ボランティア第3弾、いかがでしたか?
今月は第4弾まで計画しておりますので、楽しみにしていて下さい♪
ありがとうございました。
http://www.keiainosato.com/keiai_news/
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