2010年10月29日金曜日

メリアの平原にて・・・


今年は演奏されなくなった「メリアの平原にて」だが、
メリアがどこにあるのか、学生時代に
いろいろと議論になったことがあった。
その答えは、意外なところにあった。

岡村さんが探し当てられていたとは・・・


以下は引用・・・


メリアの平原に立ちて 作品123 (1909)
Sulla Piana della Melia Op.123

「メリアの平原に立ちて」は、1909年ミラノの
Il Plettro 誌主催の第2回作曲コンクールで第2位に入賞し、
翌1910年同誌に出版されるや、たちまちマンドリン界
至宝の作品となった。1911年には作者自身により各所に
改訂を加えて吹奏楽として編曲出版もした。
吹奏楽版に故中野二郎氏が改訂部分をすべて
マンドリン譜に付け加え、整曲したものである。
曲種は Overture (序曲) である。

この「メリアの平原」というのはどこにあるのかという
追求が昔からなされていたが、1970年代マンドリン音楽研究
のため現地調査に赴いていた岡村光玉氏 (同志社大学MC出身、
声楽家) がイタリアの中にメリアを発見した。
そこはマネンテが所属していた連隊が、ある時期イタリア
最南端の Reggiodi Calabria に駐屯していたが、
そこから少し離れた高台で地中海やシシリー島北東端の岬を望む
風光絶景の地が Melia であった。此処はその頃軍隊の演習地であった。

また Melia は紀元前700年に小アジアに存在した古戦場の名前
でもあったようだが、そんな由来から何世紀も前に
この地に住み着いたトルコやギリシャからの移住者たちが
この丘陵地を「メリアの平原」と命名したのかもしれない。

中野二郎氏はこの曲の注目すべきこととして、
「プレットロ楽器を非常に大胆に取り扱い、今一歩で
この楽器の生命が失われるまでに豪放な作曲をあえて行い、
しかもその中に円満さと流麗さとを留めていることで成功を収めた。
流麗な旋律のみを求めていたイタリアのマンドリン界に、
新しい試みを取り入れ清風を送り込んだ功績は大きい」
としているが、これぞまさに吹奏楽作家マネンテの真骨頂であった。

本曲の曲想は、まさにマネンテがこの風光明媚なメリアの平原
に立って、これまでに経験した激しい戦闘訓練や古のメリアの
戦いを偲び草としながらも、それと対照的な優美なメロディにより
この地の美しい風景に感動しているという構成で、
作者の忘れがたい印象を描写したものであろう。

(中野二郎「いる・ぷれっとろ」より一部引用。)

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