2010年9月19日日曜日
待ちぼうけ・・・
柳川の川下りの川には、句碑がいくつか建っている。
白秋作詞の「待ちぼうけ」もあった。
しかし、この曲、よく考えてみると、
怖い話を明るいリズムで表現している。。。
ペアをよく組まれた山田耕筰先生のすごさを感じる・・・
待ちぼうけ、待ちぼうけ
ある日せっせこ、野良稼ぎ
そこに兔が飛んで出て
ころりころげた 木のねっこ
待ちぼうけ、待ちぼうけ
しめた。これから寝て待とうか
待てば獲物が驅けてくる
兔ぶつかれ、木のねっこ
待ちぼうけ、待ちぼうけ
昨日鍬取り、畑仕事
今日は頬づゑ、日向ぼこ
うまい切り株、木のねっこ
待ちぼうけ、待ちぼうけ
今日は今日はで待ちぼうけ
明日は明日はで森のそと
兔待ち待ち、木のねっこ
待ちぼうけ、待ちぼうけ
もとは涼しい黍畑
いまは荒野(あれの)の箒草(はうきぐさ)
寒い北風木のねっこ
以下は歌詞の解説です。。。
歌詞は中国の法家の思想書の一つ『韓非子』の中にある説話
「守株待兔」(しゅしゅたいと、くひぜをまもりてうさぎをまつ)
から録られたものである。説話の内容は、
昔宋に、稲作をする農民がいた。彼の田んぼの隅に切り株があり、
ある日そこにうさぎがぶつかり、首の骨を折って死んだ。
獲物を持ち帰ってごちそうを食べた百姓は、それに味をしめ、
次の日からは鍬を捨て、またうさぎがこないかと待っていたが、
二度と来なかった。そのためにイネは実らず、
百姓は国の笑いものになった。
ここから守株(しゅしゅ)という成句ができた。
本来は、古い習慣に確執し、全く進歩がないこと、
また、臨機応変の能力がないことの意味であり、
韓非はこの説話を、古の聖人の行ったような徳治を
行うべきだという儒家の主張を批判し、
「昔の統治方法をそのまま用いるのではなく、
時代に合わせて変えるべきだ」という文脈で用いた。
「改新」や「改革」などということばが悪しく取られかねない
「滅私奉公」の時代であったため、偶然の幸運を当てにして
時間を無為に過ごすな。楽をして金儲けをしようと思うなと
いうふうに教えられた。
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