Nさんから石村先生のあるメッセージ文を頂く。
それをOCRソフトでワードに変換。
記念に取っておくことにする。
しかし、便利なものができたものである。
ありがたい!
選曲の注意点である・・・
同志社大学マンドリンクラブ技術顧問
石 村 隆 行
非常に抽象的だが「マンドリンのオリジナリティー」といったことばがある。我々が演奏
する時、また作曲、編曲する上で重要とされるものである。“マンドリンでしか出来ない表
現、マンドリンの特性を生かしたオーケストレーション”といったようなものか。
G.F.ポーリやS.ラニェリなどが名編曲家といわれるのは、その選曲眼が優れていることが
大きいであろう。中野二郎先生の場合ぱ佳曲であるにもかかわらず、原編成で演奏される
可能性が低い埋もれた作品を音にして聞きたい”という個人的興味から出発されている。そ
の考えから、マンドリンにあまり適していないと思われる作品であっても(ラコンブやデ・
ミケーリの作品など)でもあえて編曲にふみきられたのであろう。それだけに、私か高校時
代に「ルスランとリュドミラ」、「オベロン」、[売られた花嫁]を発表された時は非常に驚き、
微かな疑問と反発をも覚えたのだが、そうしたオリジナル作品にはない技巧上の課題を克服
していくことによってオーケストラのポテンシャルが向上していったことは事実であろう。
晩年の先生は「いい曲はどんな楽器で弾かれても名曲である。」といったおおらかな考えを
お持ちであった。近年はそんな小僧の私の驚きが可愛くおもえるような作品、チャイコフス
キー、ベルリオーズ、果てはマーラー、ショスタコービッチと… さすがにここまで来ると
改めて考えさせられてしまう。“「マンドリンのオリジナリティー」とは?”クラシックの名
曲を弾いて味わってみたい、難曲に挑戦したい、といった願望や欲望を持つことは不自然で
はないし、否定されるものではない。そうした想いを¨定見のない何でもあり”にならない
ように上記のこととどう折り合いをつけていくかが難しいところである。
一方、マンドリン独奏の世界は全く事情が逆で、「ヴァイオリン作品なんてとんでもない」、
「マンドリンで聴いてもいいと思えない」といった保守的、印象的で偏見の強い考え(それ
もマンドリンという楽器の特性などに興味のなさそうな、所謂一般音楽畑の人間からの)が
強い影響を及ぼしており、これはこれで困ったものである。コンクールなどでは大げさにい
えば、ロマン的な作品のレパートリーはカラーチエかムニエルだけ、といった極めて狭い歪
んだものになってしまっている。
この少ない紙面上ではこのような大きな問題を深く掘り下げることなどは当然できない
し、私自身、何か正しくて何か間違っているのかは正直わからないことだらけである。しか
し、マンドリン音楽を愛し、携わっているもの全てが避けて通ることが出来ない命題のひと
っであろうと思う。今宵の演奏会のプログラムにも多くの編曲作品、独奏部を持つ作品が並
んでいるが、こうした話を頭の片隅に置いて演奏を聴かれると、また違った感想を持たれる
のではないかと思う。
SMD諸君の健闘を祈る。
0 件のコメント:
コメントを投稿