2011年1月31日月曜日

譜面をスキャンしてみた・・・




ビジネスの世界では有名なスキャナーScanSnap S1500をゲット。
1分間で50枚、それも両面読み取れるらしい。
この速さはありがたい!
名刺をスキャンしたら、一瞬でワープロ文字に変換される!
年賀状作成も簡単にできる、、、すごい!!
譜面をスキャンしてみた・・・

i-padでスコアや譜面が読める。
まるで本棚のような画面で管理もできる・・・
ありがたい・・・

evernoteに入れてあるので、どこででも見れる。

練習時もスコア+譜面無しで、
i-padだけあれば良いことになる・・・
奏者皆がそんなことをする時代も来るのだろうか???

ちなみに、最近は本を大型カッターで切りとってPDFにして
パソコンや今流行りのソニーのリーダー等で読むことが流行り出している。
それを「(電子書籍の)自炊」と言うそうだが・・・

2011年1月30日日曜日

「柳川抄」

「柳川抄」の正式名称を調べてみた。

音楽詩「柳川抄」
 北原白秋“わが生立ち”の記より

             鈴木 静一

が正式名称。   

2011年1月29日土曜日

同志社大学マンドリンクラブ演奏会!

ネット検索をしていたら、

同志社大学マンドリンクラブ演奏会 第158回 定期演奏会
日時:2011年 5月28日(土)
開演(予定) 18:30
於 高槻現代劇場中ホール

とあった。
我々の1週間後に同じ場所ではないか!!

2011年1月28日金曜日

ギターのHさんの指の手術成功!

ギターのHさんから、指の手術が成功したメールを頂く。
本当に良かったです。
でも、あまり無理はされませんように。
マラカスは参加頂けるかな・・・

2011年1月27日木曜日

トイレの神様の歌詞

トイレの神様の詞が良いねという声を聞くので、
一度全部読んでみた。
確かに良い。
定演のアンコールになる可能性も高いのか???


作詞:植村花菜・山田ひろし 作曲:植村花菜 編曲:寺岡呼人

小3の頃からなぜだか
おばあちゃんと暮らしてた
実家の隣だったけど
おばあちゃんと暮らしてた

毎日お手伝いをして
五目並べもした
でもトイレ掃除だけ苦手な私に
おばあちゃんがこう言った

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
 
 
その日から私はトイレを
ピカピカにし始めた
べっぴんさんに絶対なりたくて
毎日磨いてた

買い物に出かけた時には 二人で鴨なんば食べた
新喜劇録画し損ねたおばあちゃんを
泣いて責めたりもした

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
 
 
少し大人になった私は おばあちゃんとぶつかった
家族ともうまくやれなくて 居場所がなくなった

休みの日も家に帰らず 彼氏と遊んだりした
五目並べも鴨なんばも 二人の間から消えてった

どうしてだろう 人は人を傷付け
大切なものをなくしてく
いつも味方をしてくれてた おばあちゃん残して
ひとりきり 家離れた
 
 
上京して2年が過ぎて
おばあちゃんが入院した
痩せて 細くなってしまった
おばあちゃんに会いに行った

「おばあちゃん、ただいまー!」ってわざと
昔みたいに言ってみたけど ちょっと話しただけだったのに
「もう帰りー。」って 病室を出された
 
 
次の日の朝  おばあちゃんは
静かに眠りについた

まるで まるで 私が来るのを
待っていてくれたように

ちゃんと育ててくれたのに 恩返しもしてないのに
いい孫じゃなかったのに
こんな私を待っててくれたんやね
 
 
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
おばあちゃんがくれた言葉は 今日の私を
べっぴんさんにしてくれてるかな

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
 
 
気立ての良いお嫁さんになるのが
夢だった私は
今日もせっせとトイレを ピーカピカにする

おばあちゃん
おばあちゃん ありがとう
おばあちゃん
ホンマに
ありがとう

2011年1月26日水曜日

オーボエ奏者決定、フルート奏者探し!

木管賛助の方とようやく連絡が取れました。
オーボエのプロのような方です。
フルートの方も探して頂けるそうです。
また、ご連絡下さるそうです。
高槻音楽家協会の国久会長、岡田さんには本当に感謝致します。
まずは取り急ぎお礼まで。

2011年1月25日火曜日

ベースは賛助なし!

ベースに山下さんがコンバートされたので、
山本さんには正式にお断りし、先程了承のメールが来ました。
また、先程お電話でも丁重にお礼方々、
お断りしました。

2年連続ベースで賛助して下さった
山本さんの腕を思えば、ぜひ賛助して頂きたいところではあったが・・・
まあ、高木さんと山下さんがおられるので問題ないか。

たかマンベースの自立の時が来ましたね。
お互いにがんばりましょう!

2011年1月24日月曜日

定演準備・・・

樋口さんが手術をされる。
マラカスをどうしようか。
いざとなればパーカッションの方にお願いするが、
できれば樋口さんにお願いしたい。

ベースの山本さんの賛助はお断りする。
過去2回ご尽力頂いたことには感謝!

四方指揮者にパーカス写譜依頼をする。

いろいろと準備万端!

2011年1月23日日曜日

1月23日(日)練習!

1月23日(日)練習!

<場所>
今城塚公民館 大集会室
<メンバー>
1st:6、2nd:5、dola:6、 cello:4、 guitar:12、
bass:2、指揮者:1 計36名。
コンマス氏は高槻マラソンにご参加。

<連絡事項> 
・今日の1部の練習ではナレーター・村橋さん参加。
・古切手収集のお願い
・午後からはギターのパート練習。

<練習>
9:00-12:55

3部:アラビアの隊商
   わが心の花
   セビリアの理髪師

2部:ビギン・ザ・ビギン、知りたくないの、Kaw Liga、
   マイウェイ、星に願いを、風と共に去りぬ、
   ラグタイムバンド・メドレー

1部:柳川抄    
   細川ガラシャ

<所感>
柳川抄にナレーションを付ける。
事前の打ち合わせはまずまず。
実際にやってみるとナレーションの長さが
予想より違っていたので、その場で修正。
この結果を踏まえて、再検討することにしたい。

ナレーターの方と入ろうとしたお店のメニューが
これだった。すごい偶然!
それとナレーターの方から頂いたガラシャのお菓子。


2011年1月22日土曜日

柳川抄の1stの譜面訂正3!

柳川抄の1stの譜面の訂正箇所がまた見つかりました。
誠に申し訳ありません。
ご指摘頂きました皆様、ありがとうございました。
1stの皆様、お手数ですが下記訂正下さいますよう
よろしくお願いします。

> 「流れ」の35ド→シに訂正ちがいますか?

  「シ」ですね。

> 「水落ち」の45小節目の4つの16分音符音おかしい。

   ソレシファではなく、「ソシソファ」ですね。


以上、よろしくお願いします。
まずは取り急ぎお詫びまで。

木管賛助決まりそう!

木管賛助の方が決まりそうである。
プロっぽい方のようだ・・・

柳川抄のナレーション

明日の柳川抄の練習では、ナレーターの方に入って頂きます。
ナレーションは、こんな感じです。

原題:「我が生い立ちの記」

“古い時代の白壁が
 今も懐かしい影をうつす”

 〔1〕流れ

 私の郷里、柳川は水郷である。
自然の風物はいかにも南国的であるが、柳川を貫通する数知れぬ
掘割のにほいには、日に月にすたれゆく古い時代の白壁が、今も
なお懐かしい影をうつす。

わが町に来る旅人は、その周囲の平野に、遠く近く、銀の光を
はなつ多くの川を見るであろう。
そうして歩むにつれ、その水面に菱の葉、蓮、真菰、河骨-さまざ
まの浮藻の強烈な更紗もようを見いだすであろう。

水は清らかに流れて、すたれ果てたノスカイ屋(遊女屋)の厨
の下を流れ、洗濯女の晒布(さらし)にそそぎ、水門にせわれて
は黒いダリアの花に嘆き、酒造る水となり、汲水湯に立つ湯上り
の娘の唇を嗽(そそ)ぎ、そして夜は観音講の堤燈の灯をちらつ
かせながら、海近き沖の端の塩川におちてゆく。
静かな流れは、こうして昔のままの白壁に寂しく光り、芝居見物
の水路となり、舵を奔らせ、変化多き少年の秘密を育む。

水郷、柳川はささながら水に浮いた“灰色の柩”である。


〔2〕おそれ

 “あの眼の光るは、星か蛍か鵜の鳥か
  蛍ならば お手にとろ 
  お星さまなら拝みましょ…”

幼い時、私はよくこういう子守歌をきかされた。
そして、恐ろしい夜におびえながら、乳母の背から、
首の赤い蛍を掴んだ時、どんなに好奇の心に顫えたであろう。

少年になっても私は夜が怖かった。
何故にこんな明るい昼のあとから“夜”という厭な恐ろしいもの
が来るのか? 私は乳母の背に抱きついて慓るえたものだ。
真夜中の時計の音は、また妄想に痺れた。
トンカ・ジョーンの小さな頭脳に生臟(いきぎも)とりの血のつ
いた足音を刻みつけながら、時々深い奈落に引き込むようにボー
ンと時をうつ…
 

 “あの眼の光るは、星か蛍か鵜の鳥か
  蛍ならば お手にとろ 
  お星さまなら拝みましょ…”


〔3〕水落ち

 九月…祇園会が終わり秋もふけて、線香を乾かす家、からし油
をしぼる店、ローソクを造る娘、提燈の絵をかく義太夫の師匠---
すべてがしんみりとした物の哀れを知る十月の末には、まず秋祭
りの準備としで柳川の掘割は、水を干され、魚は掬われ、なまぐ
さい水草もどぶ泥もきれいに浚い尽くされる。

 この“水落ち”の楽しさは町の子供の何にも代え難い季節の華
である。そうしてこのひと騒ぎのあとから、また久しぶりに奇麗
な水は廃市に注入り、楽しい祭りの前ぶれが奇妙な道化師の姿で
ラッパをならし、拍子木を打ち、町から町へとめぐり歩く。

 祭りのあとの寂しさは、また格別である。
野は火のような櫨の紅葉に百舌がただ啼きしきるばかり、何処か
らとなく漂流うて来た傀儡師の背で生白い人形の首が、眉を振る
物凄さも何時人々の記憶からかき消えて“灰色の柩”柳川に寂し
い、寂しい冬が来る。

柳川抄の1stの譜面訂正2

柳川抄の1stの譜面の訂正箇所がまた見つかりました。
誠に申し訳ありません。
ご指摘頂きました皆様、ありがとうございました。
1stの皆様、お手数ですが下記訂正下さいますよう
よろしくお願いします。

> Ⅰ流れの70小節目ミファレドラのレ→ミ

> Ⅲ水落ち59小節目三つめのソ→ファ(全部ファ)
    
    「ファ」ですね。

> 67小節目二つ目の音ド→レ

    「レ」ですね。

以上、よろしくお願いします。
まずは取り急ぎお詫びまで。

2011年1月21日金曜日

柳川抄の1stの譜面訂正!

柳川抄の音源を掲示板に載せて頂いたら、
1stの譜面の訂正箇所が見つかりました。
ご指摘頂きました皆様、ありがとうございました。
1stの皆様、お手数ですが下記訂正下さいますよう
よろしくお願いします。

> Ⅰ流れの70小節目ミファレドラのレ→ミ

   「ミ」ですね。

> Ⅱおそれの42小節目ソドレド♭ミラ→ソドレド♭ミソ(最後の音をラ→ソ)

   ソドレド♭ミ「ソ」(最後の音をラ→ソ)ですね。

> Ⅲ水落ちの41小節目最初の音レ→ミ

    「ミ」ですね。

>  112小節目二つ目の音ミ→レ

   「レ」ですね。

以上です。よろしくお願いします。
まずは取り急ぎお詫びまで。

2011年1月20日木曜日

昨晩の日経新聞!

昨晩の日経新聞にガラシャのことが載っていた。
簡単にわかりやすく書かれていると思う。
ご参考まで。

2011年1月19日水曜日

I-PADは便利である。

I-PADは便利である。
何が便利かって、PCを動かすように机の前に向かって
改まって使う必要が無い。

寝っ転がって、メールもネットも見れる。
私の場合、寝っ転がって、1部の曲を聴きながら、
柳川抄等のスコアを確認している。
例えば、ナレーターの入る位置等を確認している。

以前紹介したEVERNOTEから、他の楽譜を見ることもできる。
これは、言わば、今流行りのクラウドコンピューティングというものである。
外出先で、家のパソコンのデータを見ることができる。
すごい時代になったものだ。

音楽の世界でも、クラウドを大いに活用できるだろうと思う。
もちろん、たかマンメンバー間でも。
パート譜のやりとり、情報や音源のやりとりなど・・・

2011年1月18日火曜日

23日の練習計画!

23日の練習計画!

23日はナレーターの方が来られるので、
柳川抄を中心に練習する。
時間があれば、ガラシャも練習する。

1.柳川抄    
2.細川ガラシャ

2011年1月17日月曜日

柳川抄のナレーションの文句が見つかった!

柳川抄のナレーションの原典が見つかった!
下記の文句から抜粋されているようだ。
ありがたい!
詩の雰囲気をつかんで頂ければ良いです。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000106/files/2415.html

思ひ出 抒情小曲集
北原白秋


 この小さき抒情小曲集をそのかみのあえかなりしわが母上と、愛弟 Tinka John に贈る。
                Tonka John.
[#改丁]


わが生ひたち
   …………時は逝く、何時しらず柔らかに影してぞゆく、
       時は逝く、赤き蒸汽の船腹の過ぎゆくごとく。
                     (過ぎし日第二十)

   1

 時は過ぎた。さうして温かい苅麥(かりむぎ)のほめきに、赤い首(くび)の螢に、或は青いとんぼの眼に、黒猫の美くしい毛色に、謂れなき不可思議の愛着を寄せた私の幼年時代も何時の間にか慕はしい「思ひ出」の哀歡となつてゆく。
 捉へがたい感覺の記憶は今日もなほ私の心を苛(いら)だたしめ、恐れしめ、歎かしめ、苦しませる。この小さな抒情小曲集に歌はれた私の十五歳以前の Life はいかにも幼稚な柔順(おとな)しい、然し飾氣のない、時としては淫婦の手を恐るゝ赤い石竹の花のやうに無智であつた。さうして驚き易い私の皮膚と靈はつねに螽斯(きりぎりす)の薄い四肢のやうに新しい發見の前に喜び顫へた。兎に角私は感じた。さうして生れたまゝの水々しい五官の感觸が私にある「神秘」を傅へ、ある「懷疑」の萠芽を微かながらも泡立たせたことは事實である。さうしてまだ知らぬ人生の「秘密」を知らうとする幼年の本能は常に銀箔の光を放つ水面にかのついついと跳ねてゆく水すましの番ひにも震※(わなな)いたのである。
 尤も、私は過去追憶にのみ生(い)きんとするものではない。私はまたこの現在の生活に不滿足な爲めに美くしい過ぎし日の世界に、懷かしい靈の避難所を見出さうとする弱い心からかういふ詩作にのみ耽つてゐるのでもない。「思ひ出」は私の藝術の半面である。私は同時に「邪宗門」の象徴詩を公にし、今はまた「東京景物詩」の製作にも從ふてゐる。從てその一面をのみ觀て、輕々にその傾向なり詩風なりを速斷せらるゝほど作者に取つて苦痛なことはない。如何なる人生の姿にも矛盾はある。影の形に添ふごとく、開き盡した牡丹花のかげに昨日の薄あかりのなほ顫へてやまぬやうに、現實に執する私の心は時として一碗の査古律(ちよこれーと)に蒸し熱い郷土のにほひを嗅ぎ、幽かな※芙藍(さふらん)の凋れにある日の未練を殘す。見果てぬ夢の歎きは目に見えぬ銀の鎖の微かに過去と現在とを繼いで慄くやうに、つねに忙たゞしい生活の耳元に啜り泣く。さはいへ此集の第三章に收めた「おもひで」二十篇の追憶體は寧ろ「邪宗門」以前の詩風であつた。まだ現實の痛苦にも思ひ到らず、ただ羅漫的な氣分の、何となき追憶に耽つたひとしきりの夢に過ぎなかつた。さりながら「生の芽生」及「Tonka John の悲哀」に輯めた新作の幾十篇には幼年を幼年として、自分の感覺に抵觸し得た現實の生そのものを拙ないながらも官能的に描き出さうと欲した。從つて用ゐた語彙なり手法なりもやはり現在風にして試みたのである。畢竟自叙傳として見て欲しい一種の感覺史なり性慾史なりに外ならぬ。實際私は過去を全く今の自分から遊離したものとして追慕するよりも、充實した現在生活の根底を更に力強く印象せしめんが爲に、兎に角過去といふわが第一の烙印を自分で力ある額の上に烙きつけようと欲したのである。とはいふものゝ、私はなほこの小さな詩集の限りある紙面に於て企畫した事の十分の一も描寫し得なかつたのを悲しむ。幼ない昔は兎に角秘密多き少年時代の感情生活はまだ/″\複雜であり神經的である。私はなほ何らかの新らしい形式の上にその切ないほど怪しかつた感覺の負債が充分に償ひ得べき何らかの新らしい機會の來らんことを待つ。
「斷章」の六十一篇は「邪宗門」と同時代の小曲であつてその以後の新風ではない。それは恰度強い印象派の色彩のかげに微かなテレピン油の潤りのさまよふてゐるやうに彼の集のかげに今なほ見出されずして顫へてゐたものである。私はかの私の抒情の「歌」とゝもにこの「斷章」のやうな仄かな藝術品が「邪宗門」や「東京景物詩」やその他の異なつた象徴詩の間にも、なほ純なるわかき日の悲しみを頼りなく伴奏しつゝあつた事をせめて首肯して欲しいのである。
 私は兎に角、可憐なさうして手ごろの小さい抒情小曲集を、私のなつかしい人々の手に献げたいと思つて、なるべく自分に親しみの深い、穉い時代の「思ひ出」を茲に集めた。從て私の生ひたちなり、生れた郷土の特色なり、豫め多少は知つて戴く必要がある。

   2

 私の郷里柳河は水郷である。さうして靜かな廢市の一つである。自然の風物は如何にも南國的であるが、既に柳河の街を貫通する數知れぬ溝渠(ほりわり)のにほひには日に日に廢れゆく舊い封建時代の白壁が今なほ懷かしい影を映す。肥後路より、或は久留米路より、或は佐賀より筑後川の流を超えて、わが街に入り來る旅びとはその周圍の大平野に分岐して、遠く近く瓏銀の光を放つてゐる幾多の人工的河水を眼にするであらう。さうして歩むにつれて、その水面の隨所に、菱の葉、蓮、眞菰、河骨、或は赤褐黄緑その他樣々の浮藻の強烈な更紗模樣のなかに微かに淡紫のウオタアヒヤシンスの花を見出すであらう。水は清らかに流れて廢市に入り、廢れはてた Noskai 屋(遊女屋)の人もなき厨の下を流れ、洗濯女の白い洒布に注ぎ、水門に堰かれては、三味線の音の緩む晝すぎを小料理屋の黒いダアリヤの花に歎き、酒造る水となり、汲水(くみづ)場に立つ湯上りの素肌しなやかな肺病娘の唇を嗽ぎ、氣の弱い鵞の毛に擾され、さうして夜は觀音講のなつかしい提燈の灯をちらつかせながら、樋(ゐび)を隔てゝ海近き沖(おき)ノ端(はた)の鹹川(しほかわ)に落ちてゆく[#「落ちてゆく」は底本では「落ゆちてゆく」]、靜かな幾多の溝渠はかうして昔のまゝの白壁に寂しく光り、たまたま芝居見の水路となり、蛇を奔らせ、變化多き少年の秘密を育む。水郷柳河はさながら水に浮いた灰色の柩である。
     *
 折々の季節につれて四邊の風物も改まる。短い冬の間にも見る影もなく汚れ果てた田や畑に、刈株のみが鋤きかへされたまゝ色もなく乾き盡くし、羽に白い斑紋を持つた怪しげな高麗烏(かうげがらす)(この地方特殊の鳥)のみが廢れた寺院の屋根に鳴き叫ぶ、さうして青い股引をつけた櫨(はじ)の實採りの男が靜かに暮れゆく卵いろの梢を眺めては無言に手を動かしてゐる外には、展望の曠い平野丈に何らの見るべき變化もなく、凡てが陰鬱な光に被はれる。柳河の街の子供はかういふ時幽かなシユブタ(方言、鮠(はえ)の一種)の腹の閃めきにも話にきく生膽取(いきゞもとり)の青い眼つきを思ひ出し、海邊の黒猫はほゝけ果てた白い穗の限りもなく戰いでいる枯葦原の中に、ぢつと蹲つたまゝ、過ぎゆく冬の囁きに晝もなほ耳かたむけて死ぬるであらう。
     *
 いづれにもまして春の季節の長いといふ事はまた此地方を限りなく悲しいものに思はせる、麥がのび、見わたす限りの平野に黄ろい菜の花の毛氈が柔かな軟風に薫り初めるころ、まだ見ぬ幸を求むるためにうらわかい町の娘の一群は笈に身を窶し、哀れな巡禮の姿となって、初めて西國三十三番の札所を旅して歩く。(巡禮に出る習慣は別に宗教上の深い信仰からでもなく、單にお嫁め入りの資格としてどんな良家の娘にも必要であつた。)その留守の間にも水車は長閑かに※り、町端れの飾屋の爺は大きな鼈甲縁の眼鏡をかけて、怪しい金象眼の愁にチンカチと鎚を鳴らし、片思の薄葉鐵(ぶりき)職人はぢり/″\と赤い封蝋を溶かし、黄色い支那服の商人は生温い挨拶の言葉をかけて戸毎を覗き初める。春も半ばとなつて菜の花もちりかゝるころには街道のところどころに木蝋を平準(なら)して干す畑が蒼白く光り、さうして狐憑(きつねつき)の女が他愛もなく狂ひ出し、野の隅には粗末な蓆張りの圓天井が造られる。その芝居小屋のかげをゆく馬車の喇叭のなつかしさよ。
 さはいへ大麥の花が咲き、からしの花も實(み)となる晩春(ばんしゆん)の名殘惜しさは青くさい芥子の萼(うてな)や新らしい蠶豆(そらまめ)の香ひにいつしかとまたまぎれてゆく。
 まだ夏には早い五月の水路(すゐろ)に杉の葉の飾りを取りつけ初めた大きな三神丸(さんじんまる)の一部をふと學校がへりに發見した沖ノ端の子供の喜びは何に譬へよう。艫の方の化粧部屋は蓆(むしろ)で張られ、昔ながらの廢れかけた舟舞臺には櫻の造花を隈なくかざし、欄干の三方に垂らした御簾(みす)は彩色(さいしき)も褪せはてたものではあるが、水天宮の祭日となれば粹な町内の若い衆が紺の半被(はつぴ)に棹さゝれて、幕あひには笛や太鼓や三味線の囃子面白く、町を替ゆるたびに幕を替え、日を替ゆるたびに歌舞伎の藝題(げだい)もとり替えて、同じ水路を上下すること三日三夜、見物は皆あちらこちらの溝渠から小舟に棹さして集まり、華やかに水郷の歡を盡くして別れるものゝ、何處かに頽廢の趣が見えて祭の濟んだあとから夏の哀れは日に日に深くなる。
 この騷ぎが靜まれば柳河にはまたゆかしい螢の時季が來る。

あの眼の光るは
星か、螢か、鵜の鳥か、
螢ならばお手にとろ、
お星樣なら拜みませう…………


 穉(おさな)い時私はよくかういふ子守唄をきかされた、さうして恐ろしい夜の闇にをびえながら、乳母の背中(せなか)から手を出して例の首の赤い螢を握りしめた時私はどんなに好奇の心に顫へたであらう。實際螢は地方の名物である。馬鈴薯の花さくころ、街の小舟はまた幾つとなく矢部川の流れを溯り初める。さうして甘酸ゆい燐光の息するたびに、あをあをと眼(め)に沁(し)みる螢籠に美くしい假寢(かりね)の夢を時たまに閃めかしながら水のまにまに夜をこめて流れ下るのを習慣とするのである。
     *
 長い霖雨の間に果實(くだもの)の樹は孕み女のやうに重くしなだれ、ものゝ卵はねば/″\と瀦水(たまりみづ)のむじな藻(も)にからみつき、蛇は木にのぼり、眞菰は繁りに繁る。柳河の夏はかうして凡ての心を重く暗く腐らしたあと、池の邊(ほとり)に鬼百合の赤い閃めきを先だてゝ、※(や)くが如き暑熱を注ぎかける。
 日光の直射を恐れて羽蟻は飛びめぐり、溝渠には水涸れて惡臭を放ち、病犬は朝鮮薊の紫の刺に後退(あとしざ)りつゝ咆(ほ)え※り、蛙は蒼白い腹を仰向けて死に、泥臭い鮒のあたまは苦しさうに泡を立てはじめる。七八月の炎暑はかうして平原の到るところの街々に激しい流行病(はやりやまひ)を仲介し、日ごとに夕燒の赤い反照を浴びせかけるのである。
 この時、海に最も近い沖ノ端の漁師原(れふしばら)には男も女も半裸體のまゝ紅い西瓜をむさぼり、石炭酸の強い異臭の中に晝は寢ね、夜は病魔退散のまじなひとして廢れた街(まち)の中、或は堀(ほり)の柳のかげに BANKO(椽臺)を持ち出しては盛んに花火を揚げる。さうして朽ちかゝつた家々のランプのかげから、死に瀕(ひん)した虎列拉(コレラ)患者(くわんじや)は恐ろしさうに蒲團を匍(は)ひいだし、ただぢつと薄(うす)あかりの中(うち)に色變(か)えてゆく五色花火のしたゝりに疲れた瞳を集める。
 燒酎の不攝生に人々の胃を犯すのもこの時である。犬殺しが歩(あ)るき、巫女(みこ)が酒倉に見えるのもこの時である。さうして雨乞の思ひ思ひに白粉をつけ、紅(あか)い隈どりを凝らした假裝行列の日に日に幾隊となく續いてゆくのもこの時である。さはいへまた久留米絣をつけ新らしい手籠(てかご)を擁(かゝ)えた菱の實賣りの娘の、なつかしい「菱シヤンヨウ」の呼聲をきくのもこの時である。
     *
 九月に入つて登記所の庭に黄色い鷄頭の花が咲くやうになつてもまだ虎列拉(コレラ)は止む氣色もない。若い町の辯護士が忙(いそが)しさうに粗末な硝子戸を出入(ではい)りし、蒼白い藥種屋の娘の亂行の漸く人の噂に上るやうになれば秋はもう青い澁柿を搗く酒屋の杵の音にも新らしい匂の爽かさを忍ばせる。
 祗園會が了り秋もふけて線香を乾(かわ)かす家、からし油を搾(しぼ)る店、パラピン蝋燭を造る娘、提燈の繪を描く義太夫の師匠、ひとり飴形屋(飴形(あめがた)は飴の一種である、柳河特殊のもの)の二階に取り殘された旅役者の女房、すべてがしんみりとした氣分に物の哀れを思ひ知る十月の末には、先づ秋祭の準備として柳河のあらゆる溝渠はあらゆる市民の手に依て、一旦水門の扉を閉され、水は干(ほ)され、魚は掬(すく)はれ、腥くさい水草は取り除かれ、溝(どぶ)どろは奇麗に浚ひ盡くされる。この「水落ち」の樂しさは町の子供の何にも代へ難い季節の華である。さうしてこの一騷(さわ)ぎのあとから、また久闊(ひさし)ぶりに清らかな水は廢市に注ぎ入り、樂しい祭の前觸(まへぶれ)が、異樣な道化(どうげ)の服裝をして、喇叭を鳴らし拍子木を打ちつゝ、明日(あす)の芝居の藝題(げだい)を面白ろをかしく披露しながら町から町へと巡り歩く。
 祭は町から町へ日を異にして準備される、さうして彼我の家庭を擧げて往來しては一夕の愉快なる團欒に美くしい懇親の情を交すのである。加之、識る人も識らぬ人も醉うては無禮講の風俗をかしく、朱欒(ざぼん)の實のかげに幼兒と獨樂(こま)を囘(ま)はし、戸ごとに酒をたづねては浮かれ歩く。祭のあとの寂しさはまた格別である。野は火のやうな櫨紅葉に百舌がただ啼きしきるばかり、何處からともなく漂浪(さすら)ふて來た傀儡師(くぐつまはし)の肩の上に、生白い華魁(おいらん)の首が、カツクカツクと眉を振る物凄さも、何時の間にか人々の記憶から掻き消されるやうに消え失せて、寂しい寂しい冬が來る。

2011年1月16日日曜日

新年会!




新年会!



新年会!





新年会!





新年会!





新年会!






さて、新年会までどう時間をつぶそうかと
阪急高槻駅改札前で思案していたら、
長田さんにお声をかけて頂き、福田さん達と待ち合わせる。

河村さんのお店ということもあり、30人位の方々が参集。
2次会も26人参加。
寒さの大変厳しい一日であったが、大いに盛り上がる。

木管賛助打ち合わせの件







昨日、岡田さんと一緒に、高槻現代劇場のレストランで、
高槻市コンサート協会 国久会長と面談。
1部の曲の木管(フルート・オーボエ)賛助の方選定と
来年以降の岡田さんのステージでコーラスを入れられないか
お願いをする。
木管の譜面とガラシャの簡単な資料とCDをお渡しする。
京都芸大OBを含め検討して下さるとのこと。
少年少女コーラスは毎月、何かのコンサートがあり、
忙しそうであること、
OBOGの方がまとめやすいのではという提案を受け、
そちらでお願いしようかということになる。
OBOGと言っても、大学生前後らしいのだが。
童謡・唱歌を歌ってもらうなら、少年少女の方が
ウケルだろうが。 

12時にお会いして、12:40にお別れする。
そこから喫茶店で岡田さんと打ち合わせ。
それでも14時前。
隣の教会等を散策し、高槻駅へ。

写真は教会の高山右近。

2011年1月15日土曜日

細川ガラシャ解説記事!



細川ガラシャ解説記事を参考にお届けします。
jpegで掲載していますので、
写真と同じようにダウンロードできます。
また、拡大表示もできます。
ご参考まで。

2011年1月14日金曜日

明日は新年会+木管打ち合わせ!

明日は新年会+木管打ち合わせである。
12:00から高槻現代劇場のレストランで
木管賛助を斡旋して下さる高槻音楽界の重鎮と打ち合わせ。
その後、16:00から新年会である。
河村さんのお店で新年会は初めて(?)なので、
大いに盛り上がるのでは?

2011年1月13日木曜日

将来たかマンをしょって立つような「人財」の育成 ?

次世代経営リーダーの育成が、私の仕事の大きな課題になっている。
ふと振り返れば、たかマンでも活かせるのかなと思えた。
私より若い世代で将来たかマンをしょって立つような「人財」の育成も
考えておかなければならないのかもしれない。

まず、人のスカウトも大事だ。
高槻でマンドリンを愛する若い人の発掘も。
また、TOPへの育成・抜擢も必要だろう。

20周年のことも考えてみると・・・

2011年1月12日水曜日

柳川抄のCD・・・

柳川抄のCDをどなたかにお貸ししているのですが、
お心あたりの方はいらっしゃらないでしょうか。

15日の土曜日に、木管賛助の元締めのような方と
打ち合わせを行うのですが、柳川抄のCDが無いことに気づきました。
MDはあるのですが。。。

お心あたりの方はご一報頂きたく
何卒よろしくお願い申し上げます。


・・・ナレーター候補の方にお貸ししているように思います。
   23日の練習時に確認します。

2011年1月11日火曜日

ベースが入ると厚みが増す!

ベースが入ると厚みが増すなというのが
先日の実感である。
ありがたい!

2011年1月10日月曜日

ベースは山下さんに依頼することになるでしょう。

昨日、山下さんにベースを試して頂いたが、
音も良く出ていたし大いに期待できると思われた。
おそらく、依頼することになるでしょう。
よろしくお願いします。

2011年1月9日日曜日

1月9日(日)今年初練習!

1月9日(日)今年初練習!

<場所>
今城塚公民館 大集会室
<メンバー>
1st:6、2nd:6、dola:8、 cello:3、 guitar:8、
計31名。
河村さんお休み。腰痛だとか、お大事に。

<連絡事項> 
・1月15日新年会
・山下さんにベースを試してもらう。
 今日からベースの高木さんも復帰。

<練習>
9:00-12:40 今日は少し早めに終わる。

1部:日本の幻想
   柳川抄    
   細川ガラシャ

3部:アラビアの隊商
   わが心の花
   セビリアの理髪師

<所感>
今日の目玉はベース2台が登場したことに尽きる。
ベースが2本あると重厚感が増す。
ありがたい。
山下さんの音も良く出ていた。

1部からの練習だったので、基礎練習から始める。
基礎練習は、個人練習では練習の合間に行ってもらえれば良い。
1部は、音量の調整、難しいところの練習に重点。
1部はギターと1stの速弾きが課題となるだろう。
うまく決まれば、本番もお客様の共感を頂けるだろう。

細川ガラシャについては、今日もガラシャの特徴を
練習前にお話しした。
ベースのチューニング待ちも兼ねてだが。
詳細は明日以降お話したい。

セビリアの速弾きは今後の課題か。
しかし、音は良く出てきたと思う。


練習後の昼食では、Aさんがハイボールを3杯飲んでおられたのが、
びっくりであった。
私も真似したいところだが、いつも送って下さっている
中田弟さんに申し訳ないし・・・

びっちり練習した後のお酒は、さぞおいしいことだろう。。。
ガスト参加者は15名。

2011年1月8日土曜日

トイレの神様?

昨日も話題にした「トイレの神様」。
先日ドラマ化されていたが、会社でも結構見た人は多かった。
私も見たが、植村花菜さんの実家のある川西市の風景が
ところどころに出ていた。
結構人気のある曲のようだ。

定演のアンコールは、「トイレの神様」か?

2011年1月7日金曜日

定演のアンコールは?

気の早い話だが、今年の定演のアンコールは何になるのだろう?
この頃の流行の曲がわからない・・・

昨年ブレイクしたトイレの神様の植村花菜さんにしろ、
ゲゲゲの女房の松下奈緒さんにしろ、
なぜか川西市の出身である。
顔立ちも良く似ていると思うが。
なぜか近所の人という意識もある。。。

このあたりの2曲(トイレの神様、ありがとう<いきものがかり>)
なら多少わかるが・・・
あるいは、EXILEか、マンドリンで?

2011年1月6日木曜日

今年初の練習・・・

じっくり考えれば、いや考えなくても
9日は今年初の練習である。
特に緊張はしないが、後5ヶ月と思うと
気が引き締まる・・・

2011年1月5日水曜日

9日の練習計画!

9日の練習計画!

昨年は、曲に慣れて頂くことを目的に、
弾き込んで頂いた。
今年からは難しいところを重点練習していく。

練習順番は、本番通り。

1.日本の幻想「会津磐梯山と八木節」
2.柳川抄    
3.細川ガラシャ

次回柳川抄のナレーターの方が来られるので、
特に、柳川抄に重点を置く。

2011年1月4日火曜日

パーカッション+木管の写譜から気づいたこと・・・

パーカッション+木管の写譜を2日で終えた。
未だにフィナーレ等がうまく使えず手書きである。
いつか先生にきちんとお教え頂きたいとは思っているが。

時間はかかったが写譜から気づいたこと・・・
弦楽器の目線だけではなく、パーカッション+木管の目線から
曲のまとめ方について、気づけたことがいくつかあった。

ブレスの取り方や速度等を再考できる良い機会となった。
後、5ヶ月。
難しいところのまとめに取りかかりたい。

2011年1月3日月曜日

パーカッション+木管写譜終了!

パーカッション+木管写譜終了!
2日間6時間ずつ費やす。
受験勉強みたいな2日間だった。。。

2011年1月2日日曜日

パーカッションの写譜開始!



休みがまとめて取れるので、
パーカッション+木管の写譜をすることにした。
本日、柳川抄は完成!

写真は初詣の西宮神社、そう、えべっさん。

2011年1月1日土曜日

今年もよろしくお願いします!




2011年が始まった。
今年もよろしくお願いします。

今年の定演は第10回!
いろいろと趣向を凝らしたいと考えています!