2010年3月3日水曜日

古賀政男さんについて

昨日のマンドリンに関連して、
古賀政男さんについて、調べてみた・・・
へえ、そんな歴史があったのかとびっくり・・・
以下引用。

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古賀政男は、京城善隣商業学校を出て
大阪の商店に勤めたのち、1923年(大正12年)に
東京の駿河台にある明治大学に入学し、
明治大学マンドリン倶楽部の創設に参画した。
当時の明大マンドリン倶楽部は、ボッタキアーリ、
ラウダス、バッチなどのマンドリンの大曲が演奏されていたが、
古賀も「幻想的狂想曲」(ロマーノ)の難曲を独奏するなどの
活動が見られている。1928年(昭和3年)夏には
自殺を図るが未遂に終わる。蔵王の夕暮れを見て
「影を慕いて」の詩が浮かんだと言われている。
その年の秋の定期演奏会は明治記念館講堂で開催されたが、
このとき佐藤千夜子と知遇を得た。
また、このとき「音楽は和也」の理念が生れた。
1929年(昭和4年)6月、明大マンドリン倶楽部の定期演奏会で
『影を慕いて』(ワルツ・ギター合奏)を発表。
その年の暮れには、佐藤千夜子の歌唱とマンドリンオーケストラを率いて、
「文のかおり」など自作品をビクターで吹込んだ。
1930年(昭和5年)秋には『影を慕いて』をビクターで
佐藤千夜子の歌唱によって吹込む。
この時は、まだマンドリン・ギター演奏家「古賀正男」だった。
1931年(昭和6年)1月、新譜でレコードは発売されたが、
売れ行きは芳しくなかった。

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