2010年3月31日水曜日

定演まで後45日!

今日で3月が終わる。
ということは、定演まで後45日ということになる。
いよいよカウントダウン!

きたやまおさむvs北山修・・・


その昔、加藤和彦氏とフォークで一斉風靡したのが、きたやまおさむさん。
私が学生時代、精神医学を学んでいた時の他の学派の先生が北山修さん。
実は同一人物・・・

学生時代、マンドリンの合宿の打ち上げ後、
有志でフォークソングを歌ってよく一夜を明かしたものだ。

2010年3月30日火曜日

アンコール曲候補!

掲示板に至宝さんがアンコール曲の候補として
浜辺の唄をあげておられた。
依頼演奏等でも良く弾いている曲なので、
特別な練習も必要ないだろう。
この曲はドラが唄える良い曲であると思っている。

個人的には森繁さん追悼で、知床旅情といきたいところだが・・・

2010年3月29日月曜日

パーカッション練習日2!

パーカッション練習日について、
谷向さんに連絡及び調整をお願いする。
4月18日以降の練習で合わせたい旨お願いする。
日程調整で動いて頂く。
また連絡があれば、関係者にご連絡したい。

パーカッションは2名を予定。
スネア、ティンパニ、シンバル、トライアングルを予定。
1人2役もお願いする。

定演の構成

定演の構成
今年の定演の構成を再確認。

1部:クラシックの名曲集
    美しく青きドナウ
    別れの曲
    軽騎兵序曲

2部:映画音楽集
    80日間世界一周
    太陽がいっぱい
    第三の男
    ひまわり
    シェルブールの雨傘
    ムーンリバー
    シェーン
    大脱走のマーチ

3部:オリジナル
    道化師
    いつかの美しい日のように
    劇的序曲

2010年3月28日日曜日

パーカッション練習日!

パーカッション練習日を合宿以降とすることを
ボスと確認する。
ポンチョさんは、最後の曲だけ入れれば良いとのこと。
谷向さんに夕方、晩に連絡入れるが不通。
明日再度連絡しよう。

ギターのパート練習資料!



記念に残しておこう!

3月28日(日)練習!




3月28日(日)練習!
<場所>
今城塚公民館 大集会室
<メンバー>
1st:6、2nd:6、dola:6、cello:3、 guitar:14、bass:1、
指揮者:1    計37名。

久しぶりにコンマス氏参加。
1ヶ月ぶりに茶話会:1st担当

<連絡事項> 
・現代劇場打ち合わせ:4/19 詳細は合宿で詰める。
・次回練習は合宿:4/10・11 

<練習>
9:00-12:50

3部:道化師
    忘れられがちな指示を再確認。
   いつかの美しい日のように
    デクレスの最後の音は小さく。
   劇的序楽
    大分弾き慣れてきたが、細部を詰めていく。
    時間の関係上、前半が主体。
    やはり、3回の平日練習の成果が大いに出ていたと思う。
    特にギターは、OさんとHさんの音は良く出ていた。
 
2部:全曲ザッと通す。
   午後からのギターのパート練習のため、Iさんと一緒に
   お弁当を6つ買出しする。
   帰ってみると、ボスが私の席に座っておられる。
   気の小さい私はドケとも言えず(?)、良い機会と思い直し、
   他のパートの音を聴いてみた。
   ギターの最後列、チェロの後ろ、2ndのNMさんの後ろで聴く。
    下記は個人的感想。
    1stは後ろが遅れる。
    2ndとドラの後ろはもうひとつ音が出ていない。
    チェロは横が揃っている。
    ベースはピッチが低い。
    ギターはアルペジオが固い。また、少し走る。
    
1部:次回の合宿を意識して、パート練習をしてほしいところを
   中心に練習する。
   シンコペーションの4部音符は基本トレモロでお願いする。

   別れの曲:よくまとまってきたと思う。
   軽騎兵:やはり1st・2ndのDからFまでが課題。
       特に降りてくるところが、まだバラける。
       合宿の重点課題。
   ドナウ:テンポの変わり目の、指揮との息合わせが必要。
       
<所感>
次回の練習はいよいよ合宿。
パート練習での向上に期待したい。
桜も咲き始めた練習会場の写真・・・

ちらし・チケットをSさんに確認。
紙の案も決定。これでよっぽどのことが無い限り、
問題無く終了した。
関係者の方々には感謝致します。

<ギター;パート練習>
13:30-15:40 同会館1F
12名参加、3名欠席。
茶話会の残り物を皆様にお配りする。

細かいところの質問も良く出て、十分な確認もできた。
指揮者が2名いるのも強み。
コードを明確にするなど、弾きやすくなった。

写真は譜面合わせをしているところ・・・

最終校正終了!

チケットの校正が上がり、Wチェックさせて頂き、
問題無いと判断させて頂いた。

WEBでとある印刷所のHPで
確認することができた。
世の中進んでいますね。

後は、チケット・ちらしの紙を慎重に選んでいく。

2010年3月27日土曜日

パーカッション練習日を早く決めたい!

パーカッション練習日を早く決めたい!

パーカッションの譜面をご用意下さいとは、
他の指揮者に1ヶ月前には連絡済み。
28日に他の指揮者とパーカッション練習日を決めたい!

2010年3月26日金曜日

ちらしの第一回校正終了!

ちらし、チケットの校正、Sさんのご尽力により、
修正が間に合った。
若干の修正がまだ必要なものの、
良くできていると思っている。
HさんとのWチェックの効果である。
皆様には感謝致します。

2010年3月25日木曜日

28日の練習計画!

28日の練習計画!

久しぶりのコンマス氏復帰なので、
いろいろと確認しながら進めたい。

<1部>
1.別れの曲:本番を意識して練習。
       やはり、揺らすところの息合わせが課題。
2.ドナウ:揺らすところを徹底練習。
3.軽騎兵:やはり1st・2ndのDからFまでが課題。
      特に降りてくるところが課題。ばらける傾向があるので。
  
<ギター>
劇的徹底!

2010年3月24日水曜日

ちらしの校正!

ちらし、チケットの校正、冷静に再度見直すと
気になる点が出てきた。
冷静に一晩置いて良く見たのだが・・・
Sさんには誠に申し訳ないと思うのだが、
間に合えば修正頂くよう依頼する。

ご質問について・・・

Mさんから
< 「軽騎兵」の1st、
Eの8小節目3拍目のe4分音符、
  9 〃 2拍目と3拍目の裏からのbの4分音符、
      
それぞれ、トレモロで延ばしますか、ダウンの単音で切りますか? >

と質問を受けた。

スコアとオーケストラスコアの両方を見ました。
シンコペーションの効果を出したいこと、
ピッキングや単音で切ると走りやすいことから
基本的には、両方ともトレモロで延ばしたいと考えます。
次回の練習で確認し、皆様にご連絡したいと考えます。
よろしくお願いします。

ご指摘、感謝致します。

ちらしの校正!

ちらし、チケット原案を校正したが、Wチェックすると
まだ少し校正箇所が出てきた。
やはり仕事も一緒だが、複数のチェックが必要である。
曲目名・編曲者名の正確な名前等も含め、
いろいろな方に確認の上、進めていきたい。

2010年3月23日火曜日

同じものを見たり聞いたりしても感想は違う・・・

同じものを見たり聞いたりしても感想は違うことがある。

それは見たり聞いたりする人の思い込み、考え、性向・・・
などによる。

同じ演奏を聴いても良いと言われたり、
悪いと言われることもあるかもしれない。

しかし、とどのつまりは、自分は満足する演奏を
したと胸を張って言えることが大事だと思う・・・

2010年3月22日月曜日

いろいろ・・・

ちらし、チケット原案を校正してSさんにお送りする。
今日は、平日練習に参加できなかったが、
Mさんからメールにて状況をお教え頂く。

1st4名・2nd5名・ドラ・2名・セロ1名・ギター4名、
指揮者2名 計18名。
劇的と「大脱走・シェルブール・シェーン」を練習したそうだ。
Kさんに少し焦りがあったとか。

今日で3回目の平日練習。
大分見えてこられたようだ。

先日紹介したHさんのMIDIの件、
本日数名の方にCDとして配布され、随分役に立ったという
お言葉を頂いた。
耳から練習することも大いに役立つだろう。
Hさんには感謝します。

2010年3月21日日曜日

チラシとチケットの原稿!

Sさんから、たかマン定演のチラシとチケットの原稿を
送って頂いた。
Hさんと一緒に校正を進めていく。
いよいよ本番も近いということだな・・・

2010年3月20日土曜日

音楽活動に置き換えて考えると楽しくなるな!

私の場合、何でも音楽活動に置き換えて
考える癖が付いてきたようである。

アイデア出しは、作曲・編曲・選曲活動。
役員御前発表・研修は、演奏会。
会議は、定演準備委員会。
部下指導面接は、パート練習。
慰労会は、演奏会後の打ち上げ・・・

資料作成で考えると、
もっと強調して書けと言われたら、ffやスタカート。
ここはもっと押さえて書けと言われたら、ppで・・・

そう考えればおもしろくなることに
今さらながら気づいた!

2010年3月19日金曜日

定演まで残り2ヶ月を切る!

定演まで残り2ヶ月を切った!
これは団員一人だけの話ではなく、全員の話である。
ここからいかに追い込んでいくかである。

個人的には、実力からしてどうかなという学校に
最後の追い込みで入学できたという経験があるので、
追い込みの効果は十分認識している。

また、定演の前日に急に曲を遅くして
当日変になったこともある。
指導の先生の指示で致し方なかった。
おかげで定演前日は、スッと流すことを肝に銘じているが。

さらには、定演2週間前に曲の半分の編曲ができ、
何とか間に合わせた経験もある。

いろいろな経験を糧に、最後の仕上げをしていきたい!

2010年3月18日木曜日

22日の平日練習は参加できません・・・

22日の平日練習は参加できません・・・

どうしても仕事の年度末なので・・・
参加される皆様のご成果をお祈りしております。

2010年3月17日水曜日

自分を認め、自分がしたいことをすればいいんだ!

高木善之さんのブログで少し勇気がわく。
意外とそういうものなのかもしれない。
演奏表現に迷うといろいろと考えるが、
やはり自らやりたいようにやるのが一番だと思う・・・

http://www.takagiyoshiyuki.com/

++++++++++++++++++++++++

1年間のリハビリ後、職場復帰しましたが、
仕事のない窓際で死ぬか生きるかばかり考えていました。
あるとき “自分を認め、自分がしたいことをすればいいんだ。”と気づき、
好きな音楽で画期的な新製品を開発し、本当の復帰を果たしました。


高木善之氏
NPO法人ネットワーク『地球村』代表。
「美しい地球を子どもたちに」と呼びかけ、
環境と平和を中心に、社会問題や生き方について
本の執筆や講演活動を続けている。

1947年 大阪府生まれ
1970年 大阪大学卒業後、松下電器産業(株) 入社。
1981年 大きな交通事故で一命を取り留め、生き方が変わる。
    環境や平和の問題に取り組み始める。
所属会社製品のフロン全廃を提案、実現へ。
1991年 ネットワーク『地球村』を設立。全国で講演し本を執筆。
国際環境会議に出席。
1998年 松下電器産業(株)退社 現在に至る

2010年3月16日火曜日

冷静に考えてみると・・・

いつだったか、たかマンの定演を聴きに来て下さった方に、
「皆さんの大体の平均年齢は?」と聞かれ、
「大体○○歳だと思う。同志社昭和○○卒の方が多いから」と答えた。

すると、「皆さん、よく弾いておられるね。
普通じゃ、あんな難しい曲弾けないよ。」と言われた。

その方はマンドリンではなく、違う楽器をやっておられるが、
皆さんの手の動きの凄さ、若さにびっくりしたとのことであった。

普段は、どこが弾けてないと自他共に言っているが、
冷静に考えれば、この年齢でこれだけ弾いておられるのは
たしかにすごいことである。

がんばって弾いて下さっている皆様には、
感謝の気持ちでいっぱいである!!
時々それを忘れているけど・・・ 劇的の練習等では。

2010年3月15日月曜日

ありがたい!

ギターのHさんが、MP3で定演全曲の
ギターパート分をMIDIに入れて頂いた。
メトロノームもバックに鳴っており、ギターの方々には
良い練習用CDになっていると思う。

Hさんのご尽力には感謝します。

2010年3月14日日曜日

3月14日(日)練習!


3月14日(日)練習!
<場所>
今城塚公民館 大集会室
<メンバー>
1st:6、2nd:7、dola:6、cello:5、 guitar:8、bass:1、
指揮者:1    計34名。

久しぶりの今城塚公民館。

<連絡事項> 
合宿費・部費を休憩時間に集める。

<練習>
9:00-12:15 今日は次に使う団体と時間を折半し、12:30まで。

3部:久しぶりに、道化師、いつかの美しい日のように も通す。
   後は、劇的序楽を重点。
   2回の平日練習の成果が大いに出ていたと思う。
   特に2ndは良く音が出ていた。
 
2部:ザッと通す。もう少し弾き慣れれば問題ないか。
    80日間世界一周
    太陽がいっぱい
    第三の男
    ひまわり
    シェルブールの雨傘
    
1部:注意事項を再確認して練習。
   別れの曲:細かいところの微調整。
        いかに寂しさを強調できるかが今後の課題。
   軽騎兵:やはり1st・2ndのDからFまでが課題。
       特に降りてくるところがバラける。
       まだまだ練習が必要だろう。
   ドナウ:指揮との息合わせがまだまだ必要だろう。
       
<所感>
定演まで、ほぼ2ヶ月。追い込みをかけていく。

劇的序楽は、平日練習の効果が大いに出ている。
次回の平日練習には、1st山下さんのご友人も参加予定。
学校の先生をされているので、4月からどうなるかわからない
とのことだが、時々顔を出して頂くだけでもとお願いする。

また、Nさんから私のバイオリンの先生のそのまた先生である
辻久子さんに関する新聞記事を頂く。
大体聞いていた話が書いてはあったが、
バイオリンに対する強い思いを感じる。
バイオリンを買うために売却したという甲子園のご自宅を
見たことがあるが、楽器に対する情熱はすごいと思う。

今日は昼食も早く終わり、家の近くを散歩する。
元阪急ブレーブスの福本選手の豪邸が近くにあることを発見。

本日も長時間、お疲れ様でした。

2010年3月13日土曜日

パッション、ミッション、アクション!

人に感謝して、使命感を持ち、充実した気持ちで
働く人がいる会社こそ
繁盛する会社。

貴方は、人に感謝していますか?
使命感はありますか?
情熱を持って、どんどん行動していますか?

そんな文面があった。
会社を組織に置き換えて振り返ってみた・・・
そうたかマンでの自分の活動を!

会社の営業本部長から、「すーちゃん、何でも
<パッション、ミッション、アクション!>が大事だよ」という
お言葉を頂いた。
本当にそうだな・・・
感謝である!

2010年3月12日金曜日

劇的序楽の音源!


劇的序楽の音源がたかマンの掲示板に掲示されている。
音源Ⅱは、久保田孝さん率いるクボタ フィロマンドリーネン オルケスター
の演奏である。
マンドリンオリジナル曲を収めた同楽団CDの1曲で、秀逸である。
私のお宝CDである。

http://www2.plala.or.jp/takatukimc/7takamanteien10.htm

収録曲は下記の通り。
劇的序曲/A.Cappelletti
マンドリンの群れ/C.A.Bracco
舞踊風組曲第2番 作品21/久保田 孝
序曲ニ短調/S.Falbo
第二ギリシャ狂詩曲/N.Lavdas
交響的前奏曲/U.Bottacchiari
英雄葬送曲/C.O.Ratta
黄昏前奏曲/D.Berruti

合奏では、トレモロの数を揃える楽団ですから、音はクリアです。
大いに参考になると思います。
曲の構成や仕上げ方は至宝指揮者の思いもあるでしょうから、
あまりイメージを付け過ぎないようよろしくお願いします。

2010年3月11日木曜日

パーカッションのこと・・・

先日の同志社のコンサートで気づき、至宝さんには報告したが、
パーカッション奏者の中に、
たかマン定演でもお世話になる谷向さんが
よく依頼しているIさんという女性奏者がいた。

じっくり聴いてみたが、大きな問題はないと思えた。
Iさんになるという保証は無いが。

谷向さんと話し合った際、
「マンドリン関係者の方は、大体パーカッションの出が遅いと
いう方が多いです。」とのことだった。
マンドリンとパーカッションでは弾き方も違うし、
おそらく指揮者の打点の認識が少しずれているのではないかと
常々感じている。
それもあるのだろうか・・・

2010年3月10日水曜日

14日の練習計画!

14日の練習計画!

基本的には軽騎兵に重点を置く。
練習前に注意事項を徹底。

<1部>
1.別れの曲:本番を意識して練習。
       やはり、揺らすところの息合わせが課題。
2.ドナウ:揺らすところを徹底練習。
3.軽騎兵:やはり1st・2ndのDからFまでが課題。
      特に降りてくるところが課題。ばらける傾向があるので。
  
<ギター>
劇的徹底!

写真は関学近くの甲東梅林と
西宮阪急で売っていた焼肉たむらのカレーパン




2010年3月9日火曜日

尾崎譜庫!


同志社の演奏会でもらったチラシ。
尾崎譜庫なるものがあるとのこと!
譜面の調査に役立つな!

JPEGに落とし込んでブログに保存できるようになり、
紙を残さなくて良いようになった。便利だねえ・・・

2010年3月8日月曜日

劇的な進化!

先程、Nさんからお電話を頂く。
同志社100周年のお礼と今日の平日練習の報告であった。
今日も、19名(1st3名・2nd5名・ドラ4名
・チェロ2名・ギター4名)と多数ご参加であったとのこと。
皆様のご熱心さには感服します。

またまた劇的な進化が次回の練習でうかがえるのだろう・・・

ギターの時間!



同志社の演奏会でもらったチラシ。
「ギターの時間」というネットで見る音楽マガジンがあるとのこと。

http://gj.294bros.com/

岡村さんが同志社100周年についても
語っておられます。

http://294bros.com/gj/100anv/okamura/okamura-1.html

いろいろと勉強になりますよ。
K指揮者にあこがれて同志社に入学されたというお話もあります。

現況・・・

・パーカッション業者谷向さんには譜面等をお送りする旨ご連絡。
・パーカッションの譜面の用意を指揮者に依頼済。
・ベースの譜面は山本さんにお送りし、届いた旨メールを頂く。
・ちらし担当をすーちゃんだけでなく、H氏にもお願いし、
 Wチェック体制を引くことに。心強い!

今日も平日練習、私は参加できないが、
皆さんがんばってきて下さい・・・

2010年3月7日日曜日

同志社大学100周年演奏会関係者の方々、お疲れ様でした!






同志社大学100周年演奏会関係者の方々、お疲れ様でした!

人数も多く演奏レベルも高く圧巻でした。
現役とOBが一同に介して演奏できる・・・
いいものですね。

すばらしい演奏会であったと感激しております。
すてきな時間をありがとうございました。

石村さんが指揮台に立つだけで演奏が引き締まりますね。
しかし、多くを語りませんが、パフォーマンスが過ぎる指揮者は
考えものだと自戒しました。
90周年の際にも塩見さんと同じ話をし、同意見でしたが。

個人的には、
紳士と尊敬する大倉さん、北京でご一緒した岡本さん、
マンドリン音楽に精しい手嶋さん、
オリーブオイルを語らせればうるさい備仲さん・・・
懐かしいお顔を拝見できました・・・

演奏会終了後、駅向の喫茶店で、たかマンギター4人衆でいろいろとお話する。
ペンネームは、
天才絵描きのお孫さんを持つおじいさん、テニスサークル会長、
北口先生のお弟子さん、私・・・
としておこう。
音楽談義に花が咲く!

次は110周年記念演奏会でしょうか???


追記
私の大学の先輩で帝塚山学園中高マンドリンクラブを指導する
昭和40年卒の金治耕造さんにお会いする。
「どうしてるの?」と聞かれたので、たかマンに入れてもらえた旨
お話しした。
指揮者はどなたかと聞かれたので
「ポンチョさんと至宝さんです」と答えたら
「至宝さんは私の同級生、ポンチョさんも学生時代から有名な指揮者です。
貴方はすごい団体にいるのですね。」と言われて
改めてたかマンの凄さも感じたし、水戸黄門ではないが、
震えが来た(???)
後で至宝さんに金治さんには会って頂いたが。
金治さんからは、7年後はうちも100周年だねと言われた。
さあ、どうするかな?
90周年では最年少事務局員をやらせてもらったが・・・

2010年3月6日土曜日

定演では、「大人のアジ」を大いに演奏に出したい!

定演では、「大人のアジ」を大いに演奏に出したい!

そのための研究を続行中・・・
いや、これは大きなテーマだから、果てしない課題だ・・・

2010年3月5日金曜日

だれにでも喜ぱれるような熟した味と香りとを、身につけなければならぬ!

「だれにでも喜ぱれるような熟した味と香りとを、
身につけなければならぬ。」

平澤 興著 「生きよう 今日も喜んで」 到知出版


京大元総長の平澤先生のお言葉。
深いなあ。
演奏にもそうしたものをプラスアルファしないといけないと
思っている。

2010年3月4日木曜日

マンドリン普及109周年?

マンドリンが日本に本格的に普及することになるのが、
1901年、比留間賢八さんによるとされている。
そう、比留間きぬ子さんのお父様である。

同志社大学マンドリンクラブが、今年創立100周年であるから、
比留間さんが日本に広めて9年後には
大学でクラブができていることになる。

すごい歴史だねえ!

2010年3月3日水曜日

古賀政男さんについて

昨日のマンドリンに関連して、
古賀政男さんについて、調べてみた・・・
へえ、そんな歴史があったのかとびっくり・・・
以下引用。

*********************************

古賀政男は、京城善隣商業学校を出て
大阪の商店に勤めたのち、1923年(大正12年)に
東京の駿河台にある明治大学に入学し、
明治大学マンドリン倶楽部の創設に参画した。
当時の明大マンドリン倶楽部は、ボッタキアーリ、
ラウダス、バッチなどのマンドリンの大曲が演奏されていたが、
古賀も「幻想的狂想曲」(ロマーノ)の難曲を独奏するなどの
活動が見られている。1928年(昭和3年)夏には
自殺を図るが未遂に終わる。蔵王の夕暮れを見て
「影を慕いて」の詩が浮かんだと言われている。
その年の秋の定期演奏会は明治記念館講堂で開催されたが、
このとき佐藤千夜子と知遇を得た。
また、このとき「音楽は和也」の理念が生れた。
1929年(昭和4年)6月、明大マンドリン倶楽部の定期演奏会で
『影を慕いて』(ワルツ・ギター合奏)を発表。
その年の暮れには、佐藤千夜子の歌唱とマンドリンオーケストラを率いて、
「文のかおり」など自作品をビクターで吹込んだ。
1930年(昭和5年)秋には『影を慕いて』をビクターで
佐藤千夜子の歌唱によって吹込む。
この時は、まだマンドリン・ギター演奏家「古賀正男」だった。
1931年(昭和6年)1月、新譜でレコードは発売されたが、
売れ行きは芳しくなかった。

2010年3月2日火曜日

マンドリン・オーケストラの歴史!

先日の練習終了後にもお話したが、
マンドリン・オーケストラの歴史について調べてみた。
同志社100周年と併せて見てみると
深い歴史であることがわかった。

日本にマンドリンが伝えられたのは、1894年四竈訥治が
イギリス人にマンドリンを贈られ演奏したのが最初といわれている。
1901年には比留間賢八が留学先のイタリアからマンドリンを
持って帰国し普及に尽力した。詩人萩原朔太郎が比留間に
師事しマンドリンを演奏していたのは有名。

1915年に武井守成がシンフォニア・マンドリーニ・オルケストラ
(後のオルケストラ・シンフォニカ・タケヰ)を設立し、
指揮者に瀬戸口藤吉や大沼哲や菅原明朗を招いている
(菅原は1930年代以降マンドリン界から一時離れるが、
1960年代より復帰し関西マンドリン合奏団に多くの曲を提供する)。
オルケストラ・シンフォニカ・タケヰは演奏のみならず
研究誌の発刊やコンクール開催などを行い、
マンドリン音楽の発展に尽力した。
音楽教育者齋藤秀雄のキャリアは、
オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ主催の合奏コンクールで、
オルケストル・エトワールを指揮して入賞したことから始まっている。

また大学でもマンドリンクラブが相次いで設立されるようになり、
1910年には慶應義塾大学・同志社大学で、1913年には早稲田大学で、
1917年には関西学院大学で、1920年には九州帝国大学(現在の九州大学)で、
1921年には北海道帝国大学(現在の北海道大学)で、
1923年には明治大学でマンドリンクラブが設立されている。

後年のマンドリン音楽の発展には社会人の団体だけではなく、
学生団体も大きな役割を果たすことになる。
戦時中は各団体とも活動が停滞するが、
戦後の復興とともに再びマンドリン音楽も盛んとなる。

以上の各団体はいずれもイタリア式のマンドリンオーケストラを
範とした編成や選曲を志向しており、戦前はイタリアが同盟国であったこと、
戦後もイタリアのようにプロパガンダに利用されなかったことが幸いして
温存され、現在に至っている。

2010年3月1日月曜日

自由!






フルートの大家吉田秀和氏が留学中、
先生の指示通り演奏したら、その先生が
日本語訳の辞書を持ってきて「奴隷」という単語を
指差したそうである。

それ以来、吉田氏は自分の思うように自由に
演奏することができたそうだ。

我々もそんなふうに演奏できたら、
いや、そんなふうに生きられたら良いなと思う。


写真は神戸岡本梅林。
昨日は岡本で梅祭り。